岩佐美帆子さん(右)と対局する高田明浩さん=2016年3月、各務原市鵜沼朝日町、文聞分

 息子の明浩は、小学校高学年になると、私の教室の子たちに将棋を教えるようになりました。子どもたちのためにデザートを作ったり、一緒に卓球や工作をしたりすることもよくありました。

 それ以降、子どもたちは将棋に夢中になり、息子が作った詰め将棋を解いたり、家族で指したりして、メキメキ上達しました。

 中学生になると、教室で定期的に将棋寺子屋を行うようになりました。私がルールや基本的な指し方を教え、子どもたち同士で対局し、強くなった子には、息子が指導対局をしました。

 そうやって将棋を覚えた子たちが、将棋を好きになって上達し、県代表として全国大会に出場したり、中学や高校で将棋部に入ったりするようになりました。

 女流棋士となった岩佐美帆子さんも、そんな子たちの一人です。彼女は、小学5年生のときから私の教室に通っていましたが、当時から既に強く、息子は、将棋の本や大会で獲得した将棋盤をあげたり、研修会での駒落ちの戦い方を指導したりしていました。

 岩佐さんは高校生のときに女流棋士となり、この春、大学生になります。彼女が、将棋だけでなく、高校の勉強も意欲的にこなし、第一志望の関西大学に合格したことは、立派なことだと思います。

 彼女は、息子が譲った盤を「今も使っています」と話していました。そんなふうに物を大切に扱う姿勢も、上達の一因だと思います。

 息子の教室での指導対局は、強い子はもちろん、弱い子であっても、いつも全力でした。弱い子だからといって、手を抜くことはありませんでした。

 そのため、8枚落ちや10枚落ちでも、子どもたちは毎回、ほとんど負けていました。ときどき勝つ子がいると、みんな、大喜びしていました。それは、駒落ちであっても、息子が全力で対戦していたからだと思います。

 そのうち、6枚落ちで勝てると、将棋ウォーズ(オンライン将棋対戦ゲーム)で初段になることができ、大会での入賞が目指せるようになるという流れができました。

 大会で入賞した子や、全国大会に出た子が満面の笑みで報告に来たのも、懐かしい思い出です。息子が教室の子どもたちを教えた経験は、イベントで指導することが多くなった今も、きっと生きていると思います。

 息子はいつも、自ら進んで教室の子どもたちに教えていました。分野は違いますが、教えることが好きなことは、親子で似たのかな、と感じています。

(「文聞分」主宰・高田浩史)