恵那峡口駅―山之田川駅間で現存している上地橋梁について紹介する元運転士の西尾英二さん=中津川市瀬戸
恵那峡口駅―山会社創立100周年に合わせて導入した北恵那鉄道カラーの復刻バス。これで3台目となった=昨年9月、同市中津川、北恵那交通之田川駅間で現存している上地橋梁について紹介する元運転士の西尾英二さん=中津川市瀬戸
恵那峡口駅終点の下付知駅跡地。「ここに駅のホームと線路があった」と懐かしむ遠藤龍彦さん=同市付知町―山会社創立100周年に合わせて導入した北恵那鉄道カラーの復刻バス。これで3台目となった=昨年9月、同市中津川、北恵那交通之田川駅間で現存している上地橋梁について紹介する元運転士の西尾英二さん=中津川市瀬戸

 現在の岐阜県中津川市を1978(昭和53)年まで54年間走った北恵那鉄道。木曽川に架かる橋梁(きょうりょう)をはじめ、廃線跡は今も各地に見られるが、どこを走っていたのか分からなくなった場所も少なくない。今年は、市民から北恵那バスとして親しまれる北恵那交通(同市中津川)が前身の鉄道時代から数え設立100周年。節目の年に廃線の名残が感じられる場所を巡った。

 同鉄道は22(大正11)年設立、初代社長には実業家福沢桃介が就任した。木曽川下流に日本初となる発電用ダムの大井ダムが建設されると、付知川で木材輸送ができなくなるため、代替輸送として鉄道敷設が計画され、24年に開通した。中央線中津川駅近くに始点の中津町駅を設け、木材搬出拠点の下付知駅まで計13駅(22・1キロ)を結んだ。木材だけでなく石材の輸送にも使われ、住民の足も支えたが、トラック輸送への転換に加え、道路改良やマイカーの普及とともに利用が減少し、78年9月に廃線となった。

 廃線から44年。同社によると、線路や駅舎があった場所は道路や遊歩道、駐車場、住宅地などに姿を変えた。最近まで石積みのホームが残っていた並松駅跡地は住宅地になった。往時のまま現存する代表的な廃線跡は橋梁で、中津町駅を出て3本目の木曽川橋梁は迫力がある。

 「橋梁は廃線から全然手が加えられておらず、鉄道の面影を見て感じてもらうには橋梁しかない」と話すのは、19歳から8年間在籍した元運転士の西尾英二さん(78)=同市瀬戸=。美濃下野駅までに残る橋梁の中で、特に恵那峡口駅-山之田川駅間にある4本目の上地(うえじ)橋梁に魅力があるという。「苗木城跡の下にある石積みの橋梁で、ものすごくインパクトがある。100年たとうとしているが、ほとんど無傷のままだ」と紹介する。

 駅舎は残念ながら残っていない。終点の下付知駅舎は20年前に取り壊された。駅跡前に住む元郵便局員の遠藤龍彦さん(70)=同市付知町=は「線路は埋められてしまい、今だとこのホーム跡しかない」と話す。高校通学や郵便輸送で電車を使った記憶は今も鮮明だといい、「廃線後も残っている駅舎を見るとうらやましい」と残念がる。

 実際、廃線跡は鉄道ファンから熱い視線が集まる存在だ。サカガワ観光(同市坂下)は昨年11月、大手旅行会社が企画した鉄道ツアーの開催に協力し、廃線跡を案内した。西尾さんら元社員がガイドを務め、道路となった“線路”をマイクロバスで走り、鉄道気分を感じてもらいながら橋梁を中心に回った。3日間で約100人の参加があったという。今井和彦社長(49)は「多くの廃線跡が残っているからこそ旅行者を案内することができる」と魅力を話す。

 今も多くの人に愛される北恵那鉄道。今月15日に迎えた創立100周年に先立ち、2019年から廃線時の車両カラーを施した路線バス(復刻バス)が市内を走り、市民からは「懐かしい」という声が聞かれた。新型コロナの影響で、路線バスで馬籠宿を訪れる外国人観光客がなくなるなど厳しい経営状況が続くが、しっかりと前を向く。廃線翌年に入社した運輸担当部長の北原和人さん(58)は「鉄道時代から沿線住民に支えられてきて今がある。この先も地域の足として住民の生活を守っていきたい」と思いを話す。