この欄でもたびたび登場していた、元ちくさ正文館の古田一晴さんが10月、亡くなった。通夜にも告別式にも参列したのに、まったく実感がなくて、正直怖いくらいだ。何かいいことがあると、あ、これ正文館に行ったとき古田さんに話そう、とまだ条件反射のように思ってしまうし、ちくさ正文館の閉店の瞬間にも立ち会ってないせいか、いつまでも私の頭の中には変わらず人文書のあの棚が置かれたままだ。
あらゆる文化シーンの魑魅魍魎(ちみもうりょう)を見てきたはずなのに、不思議なほど純粋な方だよなあ、と今改めて思う。あの一度見たら忘れられない風貌ながら、女性にはめちゃくちゃモテたとも思う。というのも、あのお歳(とし)にしては異常なほど、過去の栄光にしがみついたりせず、常に新しいものを柔軟に求めていたし、いばったりもせず、男尊女卑からも程遠かった。人と人をつなぐ文化の仲介人の役を担いながらも、俺がつないでやったんだ、的な態度も皆無で、むしろ人と人が出会うときの化学変化を心から喜んでいた。偉大な古田店長であると同時に、ライブハウスのトクゾーに行けば、「マーズ!」「ちゃびんちゃーん!」と皆親しげに話しかけられ、でも、そのはめの外し方が決して下品な憂さ晴らしにならないのも見事なものだった。
通夜の夜、名古屋の小劇場のスタジオ、七ツ寺共同スタジオの二村利之さんが、寂しそうに「野口さん、古田くんの挽歌(ばんか)でも詠んでやってよ」と言った。そんなことしたって古田さんは生き返らないと思いつつ、たしかに今私にできるのは歌を詠むことくらいしかないのかもしれなかった。通夜と告別式が終わって、ようやく一人になると、歌はどんどん溢(あふ)れ出てきた。好きな映画の好きなシーンを早送りして繰り返し再生するように、古田さんの口癖、意外だった一面、そしてあの笑顔などが頭の中でぐるぐる何度も回った。まだこの挽歌は完全には完成していないが、こうやって古田さんを思い出しながら歌を詠むことで、少しずつ慈しんで、少しずつ実感が持てていくのだろう。
通夜、古田さんの棺(ひつぎ)には、お気に入りの煙草(たばこ)が置かれていた。正文館やめたからって、はめを外してあんまり吸いすぎないでくださいよ、よくないですよ、といつものように思い、ふと、もう存分に、好きなだけ吸ってください、と祈りなおし、手を合わせた。
岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。
のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。