「大人になったら君も社会の歯車だから」。日々使っている音声アプリの音声ルームで、年上の友人が就職活動中の女性に言い、曖昧な相槌(あいづち)を打つ私にその友人は、「でもあや子さんは自分のこと1ミリも社会の歯車って思ってなさそうだよね」と言って笑った。「ああ、そうですね」。プライベートの音声アプリ以外だったら、誰かにはたかれそうな言葉が素直に出る。

 匿名の、声だけで繋(つな)がった空間。でもだからこそ、皆心が裸になる。誰かは仕事の愚痴、誰かは恋人にLINEの連絡を既読スルーされる恐怖、誰かはニートである自分を社会不適合者と称して開き直り、誰かは不倫を婚外というデコレートされた言い方で、でも本音を話す。

 社会の歯車と思っていないというのは、歌人としてある程度のキャリアを積み、時にアーティストと呼ばれることから来る奢(おご)りだろうか、それとも、小学校の頃から不登校で長く悩み、集団生活に見切りをつけたことから創作の道を選ばざるを得なかったというコンプレックスだろうか。どちらでもあり、どちらでもない気がする。ただ自分が社会性を身につけていないことがアーティストの証(あかし)のようになり、だからこそ時々突飛(とっぴ)な行動に移ることさえ才能と呼ばれて開き直っている私のことを、その友人は見抜いていたのだろう。

撮影・三品鐘

 みんなと歯車で噛(か)み合う、事象を回しあう。そこにはいろいろな思惑や集団への愛憎や将来への計算高さや処世術、といろいろなものが混ざっていて、とても私には読み解けそうにない。

 たまに仕事先の同僚関係を見ると、こうやって仕事を共有しあえる関係がいかに尊いかとも思うし、同時に私がそこにいて、少しのごますりやハラスメント、偽善を感じれば不快感で押しつぶされそうになるのもわかる。結局、集団生活に馴染めなかったなりに食っていけるだけの収入を持った社会不適合者が私なのだ。

 それでも、こうしてマックブックを叩(たた)くことはできる。今いるのは水煙草(みずたばこ)カフェ。ぷくぷくと煙をふかしながら書いた原稿が新聞に載ると思うと、不謹慎を通りこして申し訳ない。でも、私はこうして正直に言えば社会の歯車になれる自信がないまま、書いていくしかないのだろう。それは愉快なことでもあり、寂しいことでもある。噛み合う、事象を回しあう。その当たり前の行為に身を焦がしつつ、私はこのあと、また何をしている人かわからない人のまま、夕飯の買い出しに出掛けるのだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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