素敵(すてき)なばあさんに憧れる。ばあさんには垣根がないからだ。昔、名古屋の守山区に住んでいたとき、交通手段はバスだけだった。それも本数の少ないバス停でバスを待っていると、帽子を被(かぶ)ったばあさんと一緒に並んだ。ばあさんが、「このバス、◯◯に行く?」と聞く。「行きますよー」と言うと、にっこり「ありがとねー」と言うばあさん。

 そして次の瞬間、ばあさんはとんでもないことを言い出した。「あのね、私癌(がん)なの」。にっこりしていた笑顔が一瞬固まる。「へえ、そうなんですね」。そうなんですね、と言うほかにない。するとばあさんは追加の弾を撃ってきた。「あのね、娘も癌で死んだの」「あ、ああー……」「抗癌剤でハゲちゃってね、頭こんななの」と、被っていた毛糸の帽子を脱いで頭まで見せてくる。「あー……、でも、素敵な帽子ですね」「そうでしょう、そうでしょう」

撮影・三品鐘

 どうやらばあさんはもう腹を括(くく)っているらしく、唐突にカンバセーションピースとして癌のことを話したくなったみたいだ。「守山に孫が住んでてねえ、もう可愛(かわい)くてねえ」「いいですねー」「もう孫はほんと可愛いで」。そう言って癌のばあさんはバスから降りていく。ばあさんは垣根がない。

 また、執筆のためにスーパー銭湯に通っていたときだ。平日昼間だからほとんどの客はばあさん。ふと、隣のロッカーを使っていたばあさんが、使っている1個隣のロッカーを間違えて開けた。そこには不用意にも荷物が。

 「あれ」。そう言うばあさんに、阿吽(あうん)の呼吸で返していた。「まあ」「不用意やねえ」「ね」。お互いふっと笑顔になる。そこから会話が続くかと思うだろう。だがそれ止まりなのだ。「あれ」と「まあ」を言うだけの、一瞬の友達。ばあさん界隈(かいわい)では、こういうことが多発する。

 うちの母は、小さい子供が転ぶと、「痛い!」と叫ぶ。いや、あなたは痛くないだろうと思うのだが、これもばあさん界隈の現象だと思う。あらゆる道はばあさんにつながっていている。隣人の痛みはばあさんの痛み。そして隣人の隣人の隣人…… どこまでもがばあさんにとっては友達なのだ。ばあさんはすごい。皆がばあさんになったらあらゆることがどうでもよくなって、争いごとの起きない世界になるかもしれない、と妄想しつつ、夏の塩飴(あめ)を舐(な)めている。この塩飴を渡してきたのも、やっぱりばあさんだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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