去年からSNSのインスタグラムを積極的に更新している。もとから絵画やファッション、お芝居など視覚的な表現が好きで、ここ1年ほどはラップのグループに参加するときに和洋折衷のカジュアル着物を着て、それを自撮りしていたりした。そうして残るカメラロールから、ああ、こんなことあったな、あんなことあったな、と思い出だす時間も楽しくて、綺麗(きれい)な風景や記念になるシーン、お店を見つけるたびにスマホを向けていた。

 でもそれは「ここにいた記念」であると同時に「ここにいた証拠」を示すことでもある。インスタ映えで高級店や高級ブランドをアップする人たちを考えれば、それはたやすく理解できるだろう。私もその中の一人で、仕事のアカウントというのもあるが、素敵(すてき)なもの、貴重な体験はアップしたくて、必死になっていた時もある。

撮影・三品鐘

 そんなこの夏、またしても推しのラッパーAwichをはじめとする、RASEN OKINAWA TOURにライブ参戦した。Awichの率いるライブは動画も含め撮影OKで、彼女が歌う姿を一目でも残したいと、充電満タンのスマホで向かい、ライブ中はスマホを持つ腕が痛くなるほど掲げるファンが多いのも名物だった。ところが今回、ライブが始まる直前に、全ての撮影が禁止とのアナウンスが入る。ファンからブーイングに近い声がちらほら上がる中、ライブは開幕。写真に映せないならせめて4人のラッパーを目に焼き付けようと、目を開き歓声をあげる。いい場所が陣取れただけあって、3メートル先の近さで演者を見ることもたびたびで、彼らの表情も声もどこまでもリアルだった。

 「写真に撮って証拠にしなくていいから、自分の心の証拠にしてほしい、心で感じてほしい」。Awichはライブの中盤でそう言う。はっとする。「写真に映せないならせめて」。この感じ方がもうすでに私がテクノロジーに侵食されている証拠だ。3メートル先にいる憧れの人を、インスタにあげるためにカメラを向けるのと、心とまなざしを向けること。どちらがピュアな行為かというのは火を見るより明らかだ。

 記録に残すことと記憶に残すこと。その違いに思いを馳(は)せる。両立する場合もあるが、人生の大事なシーンほど記録にならず、それでも十何年経(た)っても記憶鮮やかに蘇(よみがえ)る。そうして記憶と記録の狭間(はざま)を揺れながら、おずおずとスマホを出し、またしまうのだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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