この夏、私には花柄のワンピースがどうしても必要だった。

 辛(つら)いことは重なるという言葉そのままの夏だ。一番の衝撃は昔の恋人を亡くしたこと。彼との関係は鮮明で、その頃の危うくも鮮やかな時期を思い出す時、彼の姿と同時に、私は当時の危うくも鮮やかな自分をも思い出していた。彼に会えない、ということは、あの頃の一番鮮やかな私を知っている人はどこにもいないということ。

 言わなくてもお互いの感覚が通じる相手だった。その分、価値観は全く合わなくて、ぶつかり合った。思考よりもっと原始的な、感覚が通じる相手。半身を亡くしたというには都合が良すぎる、でも、身動き一つからあんなに私の感じていることを汲(く)み取ってくれる人には、もう出会えないだろう。

撮影・三品鐘

 彼と出会った時の年を思い出してみる、そして鏡を覗(のぞ)いてみる。その肌には当時はなかったしみが覗いている。あの頃の私はもういない。

 体調を崩しながらこなす、週1回の4時間半の非常勤の授業、月に3回のレクチャー、そしていくつかの締め切り。どれもちゃんと乗りこなしているのに、心はかさかさで強制的に生を繋(つな)げているような日々。外食も買い物も興味がなく、心は枯れるばかりだ。私には早く花柄のワンピースが必要だった。

 7月のある日、ようやく出かけた名古屋市大須のカフェで作業をしていた時、あるお店が目に留まった。昔友達に教えてもらった古着屋だと思い出し、ふらりと入ってみる。店員に勧められたカットソーの黒地に赤い花柄のワンピースに惹(ひ)かれて試着し、鏡に立つ。二の腕や、太い脚が目立って見ていられない。若い頃はそんなシルエットのことなんて考えず、なんでも着ていたのに。

 困り果てた私に、店員がもう一つワンピースを持ってきた。それは着るのにかなり覚悟のいる、赤と紫と緑の毒々しいほどの花柄のワンピース。そんなまさかと思って勇気を出して着てみると、あっさり、というほどに心にフィットした。毒を持って毒を制すではないが、辛い思い出にはそれを跳ね返すほどの強いワンピースが必要なのだろう。

 家に帰ってワンピースを部屋に飾ってみる。彼が知らない、もっと強くなった私の体がふわりと軽やかに浮いたようだった。まだまだ、生き延びる価値はありそうだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

写真家・三品鐘さんのホームページはこちら