「竹を切る人がいなくなると、私の仕事も止まってしまうんです」。岐阜市で和傘の傘骨を作る職人から、竹の流通状況を調べてほしいと相談を受けた。そこで和傘に使われる竹がどこから来るのか、遡(さかのぼ)ってみることにした。
傘骨職人が竹を仕入れているのは、岐阜市柳津町にある竹問屋の皆安(みなやす)だ。敷地内にはさまざまな種類の竹が積み上げられている。社長の皆本實美(さねみ)さんは77歳で、熊本県出身。伯父が戦後まもなく始めた竹問屋の仕事を手伝うため、1968(昭和43)年に岐阜にやってきた。当時は傘骨に加え、小舞(こまい)と呼ばれる土壁の下地用、稲を干す稲架掛(はさが)け用、海に差す海苔(のり)養殖用など、豊富な竹の需要があった。最も質の良い竹は山口県のもので、貨車で毎日大量に運ばれてきた。当時は岐阜に何軒もあった竹問屋が、岐阜貨物駅に着いた竹を競うように買い求めたという。しかし今では、このような原竹(げんちく)を扱う問屋は全国にわずか4、5軒になってしまった。
最も大きな課題を皆本さんに聞いてみた。「切り子(竹を切る職人)がいないんです。竹林は全国各地にあるのに、切る人がいないから竹が集まらない」。かつて大量に竹を産出した山口県では切り子がほぼいなくなり、隣の島根県でも最近辞めてしまった。「以前は島根からも竹を仕入れていたのに、今では出雲大社で使う竹をうちから送っているほどです」
皆本さんは岐阜県産の竹も仕入れている。県内に切り子が3人いると聞いて、そのうちの1人を訪ねた。加茂郡富加町の岡勝己さんは83歳。皆本さんが最も頼りにするベテランの切り子だ。定年退職後に切り子の仕事を始めたという。「これが和傘用の竹だよ。直径12~13センチのマダケで、節間が50センチぐらいある。山に生えている竹が硬くて、和傘用にいいんだ」。そう言って切ったばかりの和傘用の竹を見せてくれた。
岡さんは1人で働いている。切るのは主に10月から2月ごろまで。夏は竹の品質は落ちるが、注文があれば切る。富加町や美濃加茂市、関市など各地の竹林で切っており、車で走りながら良い竹林を見つけると、所有者を探して契約を結び、切らせてもらうのだそうだ。使う道具は、伐採用の鋸(のこぎり)と小さな鉈(なた)の二つだけ。和傘用の竹のほか、岐阜市の伊奈波神社の幟(のぼり)を立てる13メートルもの竹も、出雲大社に納める竹も、この人の手にかかっている。
竹の流通は、細い糸でつながっていた。竹問屋の皆本さんは「もう引退したいけど、得意先から辞めないでくれと言われる」と笑う。竹を使う文化が途切れてしまわないよう、私たち次の世代が皆本さんや岡さんから学ばなければならない。
(久津輪雅 技の環代表理事、森林文化アカデミー教授)
【技の環の窓口】 人(後継者育成)、原材料、道具など、伝統技術の継承に関する課題の相談を受け付けている。県からの受託事業のため、県内の伝統技術に関わる相談は無料。申し込みは技の環ウェブサイトの入力フォーム、メールcontact@ginowa.org、または電話080(4401)6872より。