東日本大震災の発生時刻に合わせ、黙とうする栗田繁実さん(手前)=11日午後2時46分、岐阜市役所
陸に乗り上げた漁船=2012年4月、宮城県気仙沼市(栗田繁実さん提供)
陸に乗り上げた大型漁船「第18共徳丸」=2012年4月、宮城県気仙沼市(栗田繁実さん提供)

 東日本大震災発生から11年を迎えた11日、岐阜市職員の栗田繁実さん(46)は市役所で発生時刻に合わせ黙とうをささげた。2012年4月から1年間、宮城県気仙沼市で復興に携わった。ビルに突っ込んだ車や打ち上げられた漁船…。震災から約1年が過ぎても、津波の爪痕は至る所に残っていた。栗田さんは一定の生活はできるようになったとしつつも「人が戻っていない場所も多い。真の復興へはまだ道半ば」と支援の継続を訴える。

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 気仙沼市では津波や建物の倒壊によって、死者・行方不明者は1323人、被災住宅は1万5815棟に及んだ。大規模火災も起き、遠洋漁業の拠点として栄えた街はがれきの山となった。

 気仙沼市は復興に向け、全国の市町村に職員の派遣を要請。基盤整備部道路維持課の職員だった栗田さん(現職・環境部環境施設課)は以前、民間企業に勤め、07年の中越沖地震で新潟県内の橋の復旧の設計を担当したことがあった。「自分の経験が少しでも被災地の力になれば」と手を挙げた。

 栗田さんが配属された気仙沼市土木課道路整備係には、岐阜市のほか広島市から職員が派遣されていた。現地の職員と合わせて8人で避難道路の建設や、震災の影響で工事が止まっていた道路の整備を担当した。

 1年間の任期が終わった時点で、道路の完成を見ることはできなかったが、5年後、一緒に担当した職員と道路の完成を機に気仙沼市に集まった。「みんなの力を合わせればできないことはない」。栗田さんは復興支援を続ける思いを強くした。

 震災から11年。気仙沼市のがれきは取り除かれ、魚市場や造船所などが再建された。道路は通れるようになり、普通の生活を送れるようにはなったが、以前の住民の多くは戻らず、震災前の街並みは帰ってこない。

 栗田さんは派遣期間終了後も1、2年に一度、気仙沼市を訪問。一緒に働いた仲間と旧交を温めていたが、新型コロナウイルス感染拡大以降は直接の交流ができなくなった。

 「本当の意味で復興するためには震災や被災地のことを忘れてはいけない。コロナが落ち着いたら、気仙沼に家族で訪れたい」と栗田さん。被災地との縁を守り続ける決意を新たにした。