地獄谷の石碑。ここで老婆が鬼に焼かれて食べられていたという=不破郡関ケ原町今須
地獄絵の一こま。火あぶりにされたり、溶けた熱い銅を飲まされたりしている(大運寺蔵)

 悪いことをすると、地獄に墜(お)ちるという。それが発展して「地獄に墜ちろ」という罵倒語さえある。できれば行きたくない場所だが、調べると、岐阜県内には地獄の名の付く土地や料理がいくつかあるようだ。なぜ、地獄と呼ぶのだろう。恐る恐る県内の地獄を巡ってみた。そして、地獄に墜ちろという罵倒語。あまりにも過激過ぎる言葉だが、実は日本の文化にはない価値観のようだ。

 県内の地獄巡り。例えば土地や自然物に地獄の名が見られる。高山市奥飛騨温泉郷に地獄平、各務原市に地獄洞、郡上市には地獄穴と呼ぶ鍾乳洞がある。昔の人が地獄のような不気味な雰囲気を感じ、そう名付けたのだろう。

 どの地獄を訪れよう。取材は極寒の2月。手頃な地獄を探すと、不破郡関ケ原町今須の国道21号沿いに地獄谷があるという。伊吹山を望む山里。雪の中に、ほこらと「地獄谷」と刻まれた石碑があった。確かにもの悲しい雰囲気だが、目の前がJR東海道線。普通列車や特急、貨物列車が次々と通過していく。鉄道ファンにとっては、地獄どころか天国ではないか!

 とはいえ、それなりの伝承がある。関ケ原町史を開く。室町時代、能登の僧侶がこの地の堂で一夜を過ごすと、真夜中に声。見ると鬼が老婆を鉄串に刺し、火であぶって食べていた。老婆はこの地の領主、長江重景の亡き母だった。重景に伝えて供養すると、亡き母は鬼に許された。今ある妙応寺はその菩提寺(ぼだいじ)で、地獄谷の名はこの伝説から生まれたものという。

 地名以外では、料理がある。県内では、徳山ダムに沈んだ旧揖斐郡徳山村の名物「地獄うどん」が知られる。ダム湖を見渡す徳山会館で食べられるが、春まで冬季休館中。代わりに、村出身の中村治彦館長(61)にレシピを教わり、自宅で試してみた。ゆでた乾麺にサバの水煮缶としょうゆ、刻みネギ、一味唐辛子を加えたシンプルな一品で、福井県に近いことからサバが入るのが特徴だ。たっぷりの徳山唐辛子で辛くして食べる集落もあったというが、乾麺を釜ゆでする様子が地獄の釜に見えるというのが由来の一説という。

 そもそも地獄とは。大垣市の大運寺で、仏教の世界観で描かれた「地獄絵」を見せてもらった。油風呂のような釜ゆでやバーベキューのような火あぶりがあったり、のこぎりで頭を切り裂かれたり、煮えて溶けた銅を飲まされたり…。

 大橋高明住職(71)によると、三途(さんず)の川を渡って死後の世界に行くと、まずは閻魔(えんま)王らによる裁判を受けることになる。生前の行いの印象が悪く地獄行きが決まると、罪に応じた各種地獄が待っているが、極悪人は裁判を経ることなく地獄へ直行。「地獄では死んでも何度も復活して同じ苦しみを味わう。最も軽い地獄でも刑期は1兆年以上」と大橋住職。それでも遺族が追善供養をすれば呼び出しがあり、地獄から出ることができる。そして、いつかは極楽に行けるというのが仏教の教えだという。

 さて、冒頭の「地獄に墜ちろ」について。「地獄の歩き方」などの著書がある地獄の研究者、田村正彦大東文化大専任講師にリモートで背景を聞いた。

 すると「英語の『GOTOヘル』の翻訳で、近代になってから広まったのではないか」と意外な回答。なぜなら「日本の地獄には救済がある。追善供養をすれば地獄から抜け出せる。たいした罵倒にならない」と田村さん。実際に古文書などでも地獄に墜ちる話はあっても、罵倒語として地獄が使われているのを見たことがないという。一方で、西洋(キリスト教圏)の地獄は「一度墜ちると二度と抜け出せない。かなりひどい言葉で、罵倒語として成立する」と話す。

 ならば日本の地獄、恐るるに足らず。県内のいろいろな地獄も行楽シーズンに巡ってみては。