大勢の観光客でにぎわう桜のトンネル=2013年4月、関市武芸川町谷口、寺尾ケ原千本桜公園
舟戸源雄さんが残した手記をパソコンで打ち直し、50部作成した井上好郎理事長=関市武芸川町谷口、井上さん宅

 桜の名所で知られる岐阜県関市武芸川町谷口の寺尾ケ原千本桜公園。標高220メートルの寺尾峠から寺尾地区までの県道沿いに約千本の桜が並び、春には「桜のトンネル」を目当てに大勢の花見客でにぎわう。桜の植樹は終戦後の1951年、峠から寺尾ケ原を通るバス路線開通をきっかけに始まったとされているが、最近は地元から別の説を唱える人も出てきた。新たな説の中身とは。

 同公園は、69年に千本桜を含む寺尾ケ原一帯が「奥長良川県立自然公園」の一部に指定されたのを機に、遠方からの観光客が増加。85年以降は橋や大型駐車場、休憩所も整備され、2003年には桜のシーズン中の観光客が12万人に達したという。

 そもそも桜が植えられた理由は何とされているのか。合併前の武儀郡武芸川町の町史によると、51年11月に寺尾ケ原のバス路線が開通し、この話題に沸く住民の間で桜を植える機運が高まったという。折しもサンフランシスコ講和条約締結というタイミングもあり、締結半年後の52年3月、平和への願いを込めて寺尾地区の住民総出で300本の桜を植えたのが始まりと伝わる。町は由来をまとめた看板を公園に設置。「寺尾ケ原千本桜物語」と名付けて語り継いでいる。

 一方、郷土の歴史に詳しい地元のNPO法人「自然、生活共生会」の井上好郎理事長(76)は「そんな軽薄な理由ではない」と異を唱える。根拠にするのは、合併により同町ができる前の東武芸村の元助役だった故舟戸源雄さんの手記だ。遺族を通じて入手し、読んでみたところ、通説にはない内容が書かれていたという。

 手記によると、合併前の寺尾ケ原の土地は東武芸村、南武芸村の両村長を中心とする共有山林委員会が運営。52年1月には委員会が寺尾ケ原一帯にスギやヒノキを植林することを議決した。

 当時の寺尾地区の住民にとって、峠から続く寺尾ケ原の道は物資の輸送ルートで、生活に不可欠だった。積雪が多い冬には毎年、除雪作業を強いられた。植林で道の日陰が増え、雪が解けなければ、陸の孤島になってしまうことを懸念。夏には木陰ができ、冬には日が差し込む桜を沿道に植えるべきと委員会に陳情したという。

 陳情の結果について手記にはこう記してある。

 「全員異議なく賛成、実に心よく快諾を得た。その上、桜の苗木は両村で買って上げようじゃないかと云(い)われ是(これ)も決定した。

 斯(か)くして、4月25日千本の桜の苗木は送られてきた」(原文のまま)

 井上氏は「住民の切実な声を受け、桜の植樹が行われた。手記には、何と言われても食いついて離さない覚悟で陳情したと記されている」と強調。現在でも桜は住民がエリアごとに管理しており、「住民が桜をここまで大切にするのは、生活に密着した問題だったから」と話す。井上氏は、舟戸さんの手記をパソコンで打ち直し、50部作成して郷土研究の資料として生かしている。

 では、通説の根拠は何だったのか。公園の看板設置に携わった元町職員は「舟戸さんの手記の存在は把握した上で、当時を知る住民に直接聞き取りし、看板の中身を書いた」と説明。桜の植樹については「当時の聞き取りでは、バス開通に合わせ、当時の岐阜バス社長が沿道を桜の並木道にしたらどうかと提案したと聞いたが、本当かどうかは分からない」と説明する。

 講和条約についても理由はある。公園の一角には条約の植樹記念碑が建っている。以前からあったものを、公園整備に合わせて現在の場所に移したという。元職員は「スギの植林計画の話も事実だろうが、バス開通で住民が盛り上がったのも平和のために植樹したのも間違いではない。どちらであっても桜の価値は変わらない」と話している。