福島秀一監督インタビュー5回目は、2度、選抜21世紀枠の候補となった大垣西高校でのチームづくりについて聞いた。(岐阜新聞デジタル独自記事です)

福島秀一(ふくしま・ひでかず) 1963年、羽島郡笠松町生まれ。父親の影響で幼少期から野球に取り組む。岐阜高校では1年秋から主軸。3年時は4番、センター。中京大でも1年秋からレギュラーで、2年から主軸。4年の春秋、愛知六大学野球ベストナイン。4年秋は本塁打、打点の2冠で、あとわずかで3冠王を逃した。86年に岐阜県で教員になり、瑞浪監督。94年に母校岐阜高校監督になり、名門を再建。2004年からの大垣西監督を経て、2015年から池田で部長、監督。今春退職し、現在はスポーツ用品卸売業のますかスポーツ(羽島市)に勤務。岐阜ボーイズのコーチも務める。
―大垣西は行った時はどうでしたか。
福島 赴任当時の大垣西は全試合コールド負けするようなチームだった。最初の夏の岐阜大会の初戦は延長で岩村(現恵那南)にサヨナラで勝った。学校長に「九回まで野球を見せてほしい」と言われたが、「九回までと思ったが十回まで見せてくれて、校歌まで歌わせてくれた」と感謝された。
3年目の2006年の秋に県大会の3位決定戦まで進み、中津商に勝って東海大会に進んだ。準優勝する大垣日大と中京が岐阜県で2校が選抜に出場した年で、大垣西は東海大会の1回戦で東邦に負けたが、21世紀枠の岐阜県候補になった。大蔵彰人(元中日)がエースの2011年には21世紀枠の東海推薦校になったが、春の選抜には選ばれなかった。
―大蔵投手の育成法は。
福島 大蔵は愛知県のボーイズで3番手くらいの投手だったが、ライトで出ており、運動能力が極めて高かった。...