福島秀一監督インタビュー最終回の6回目は、最後の赴任地、池田高校でのチームづくり、さらに高校野球指導者人生に一区切りを付けた今、高校野球についての提言やメッセージを聞いた。(岐阜新聞デジタル独自記事です)

指導者人生最後のゲームになった昨夏の岐阜大会1回戦後に選手らにあいさつする福島秀一監督=ぎふしん長良川球場
 福島秀一(ふくしま・ひでかず) 1963年、羽島郡笠松町生まれ。父親の影響で幼少期から野球に取り組む。岐阜高校では1年秋から主軸。3年時は4番、センター。中京大でも1年秋からレギュラーで、2年から主軸。4年の春秋、愛知六大学野球ベストナイン。4年秋は本塁打、打点の2冠で、あとわずかで3冠王を逃した。86年に岐阜県で教員になり、瑞浪監督。94年に母校岐阜高校監督になり、名門を再建。2004年からの大垣西監督を経て、2015年から池田で部長、監督。今春退職し、現在はスポーツ用品卸売業のますかスポーツ(羽島市)に勤務。岐阜ボーイズのコーチも務める。

 ―池田高校でのベストゲームは。

 福島 2022年岐阜大会で、前年、さらに翌年にも準優勝する市岐阜商を初戦の2回戦で、1―0で勝った試合。戦力差は大きかったが、うちには左投手が2枚いた。2年生の田神一騎を先に投げさせ、「良くても悪くても五回で交代させるから、しっかり腕振って投げてこい」と送り出した。

 二回表に内野安打で無死一塁、1点取りにいくんだけど、送っても点にはならないだろうと、相手のバントシフトを見て、バスターエンドランをかけたら、レフトオーバーの二塁打になって1点を先制し、それが決勝点になった。

 その裏、無死満塁になって、まずいなと思ったが、ピッチャーゴロでホームゲッツー。2死二、三塁になって8番を敬遠して、9番のピッチャーで勝負したら、センターフライに打ち取って、しのいだ。そこから、市岐阜商が打てそうで芯が外れていく、フライアウトが多くなった。インコースを積極的に攻めさせたが、五回まで0点で抑えた。

 六回の表から登板させた左のサイド気味の3年仙谷悠真が、さらに遅い。相手はタイミングを外されて、その1点を守り切った。3回戦で岐阜北に13―0、4回戦で海津明誠に8―2と勝って、ベスト8入りした。準々決勝では中京が強かった。13―0で敗れた。

池田高時代のベストゲーム2022年岐阜大会1回戦市岐阜商戦を伝える岐阜新聞紙面(2022年7月19日付)

 ―ベストゲームで勢いに乗ってのベスト8ですね。

 福島 前年に岐阜大会初戦の2回戦で岐阜総合を6―5、3回戦で第1シードの大垣商を延長十四回タイブレークの5―4で下した経験が生きた。

 大垣商戦は、2―2の十四回表に相手のサードのエラーがあって3点入った。無死一、二塁から送った後、スクイズが失敗して2死二、三塁。三塁線にゴロを打ったら、はじいて二塁打になって2点入った。その後、サードの子が気落ちしていたので、...