「長嶋、代われ」。千葉県立佐倉一高(現佐倉高)の野球部主将だった長嶋茂雄さんを初めてサードで起用したのは、監督を務めた加藤哲夫さん=2022年、91歳で死去=だ。体格や強気な性格を見極めた決断はぴたりとはまり、才能が開花。ファンを魅了した「サード長嶋」を生んだ。
打撃センスは入学当初からずばぬけていた。加藤さんによると、練習では右中間の方向に100メートルほど離れた講堂の屋根をたびたび直撃、雨漏りさせた。「打球が普通の高校生と違った。真っすぐ飛び、ライナーでホームランになった」
一方、機敏で複雑な動きが求められるショートの守備に悩んだ。身長が伸びるにつれ、ミスが目立つようになり、1953年6月14日の練習試合では4回エラーをした。加藤さんは「変えるチャンス」と、同じ日の次戦でサードを守らせた。「4番、サード長嶋」が誕生した瞬間だった。
守備の不安が解消され、本来の強気なプレーが戻る。1カ月半後の8月1日、南関東大会の埼玉県立熊谷高戦で特大ホームラン。高校の公式戦唯一の一発で、プロのスカウトに注目される契機になった。