ヤマトシジミを取る水谷隆行組合長。堤の向こうに長良川河口堰が見えた=15日、三重県桑名市、揖斐川
水揚げされたヤマトシジミ=15日、三重県桑名市
伊勢湾の貧栄養化問題について話す鈴木輝明特任教授=9日、名古屋市天白区塩釜口、名城大

 長良川河口堰が7月6日で堰の運用開始から30年を迎える。関わった流域の人たちの証言を通し、今の姿を探る。

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 年配の漁師たちが北東の方角を向き、手を合わせる。拝む先には、岐阜・長野県境の御嶽山の峰があった。

 揖斐・長良川の河口部に面し、貝漁で知られる三重県桑名市赤須賀の漁港。23歳で漁師になった当時、水谷隆行(60)は不思議でならなかった。海や川への感謝は分かるが、なぜ山なのか。専務、組合長と経験を積むうち、意味をかみしめた。「先輩たちは知っとったんやな。山が大事って」

■記録的不漁

 それを思わせる異変は2013年に始まった。直前まで年1200~1500トンあった赤須賀漁協のヤマトシジミの漁獲が、912トンに落ち込む。以降、年200トンずつ減り続け、21年には80トンという記録的な不漁に陥った。

 流域の漁協として最後まで長良川河口堰(ぜき)(同市)に反対した赤須賀は1988年、やむなく建設に同意。95年に堰の運用が始まると淡水と海水が混じり合う汽水域が失われ、堰上流のヤマトシジミが消える。以降は残る揖斐川の漁場でしのいできた。

 心当たりはあった。「漁場が石ころばっかになってしもた」。シジミの産卵に必要な砂地が川底から失われてきたと感じていた。08年に運用を始めた徳山ダム(揖斐郡揖斐川町)で出水が抑えられ、洪水の時でも川が濁らない。下流まで砂を押し流す川の力がなくなったと見立てた。「堰やダムができて、メリハリがないんやんか、水に」

 だが、水谷には克服経験があった。もうひとつの柱のハマグリの水揚げが95年、1トンを切る事態に遭いながら、40ヘクタールの人工干潟の造成と稚貝放流、資源管理で回復させ、若い後継者たちを迎えた。海の博物館(三重県鳥羽市)を創設した故石原義剛は「赤須賀の奇跡」と評している。

 要請を受け、国土交通省中部地方整備局は、19年から長良川のしゅんせつ土砂を揖斐川河口から11キロ上流の深掘れ箇所に投入するなど汽水域再生の取り組みを強めた。徐々に効果は表れ、シジミの水揚げは24年、446トンまで戻った。

 干潟や浅場にすむ二枚貝などの底生生物は水を浄化し、食物連鎖にも貢献する。伊勢湾への全河川の流入量の8割を木曽三川が占めるだけに、水谷はこの汽水域の漁場再生と海まで届く砂が伊勢湾の復活にもつながると考える。

■ノリに異変

 近年の伊勢湾では、春を告げる魚コウナゴ(イカナゴ)が16年から禁漁になり、全国有数の漁獲量を誇る愛知県のアサリの激減、ノリの色落ちなど漁業資源の衰えが著しい。

 環境基準の強化による貧栄養化の影響を指摘する元愛知県水産試験場長で名城大大学院特任教授の鈴木輝明(75)は、河口堰にも一因があるとみる。川の流量を抑えることによる湾内の「エスチュアリー循環」の低下を指摘する。

 河口から流れ込む水は湾口に向けて上層を流れ、広く栄養塩を届けて植物プランクトンやノリを含む海藻を育む。逆に底層の海水は湾の奥に向かい、外洋の栄養塩や酸素を湾内に供給する。こうした水循環が河口堰によって弱まったと推測する。堰上流の滞留で、海に注ぐはずの栄養塩を淡水性植物プランクトンが消費することも懸念する。

 三重と愛知両県の漁業協同組合連合会は22年、「伊勢湾における漁業は窮地に追い込まれている」として、長良川河口堰・徳山ダムの運用と伊勢湾の貧栄養化の関連について開門調査を含め調査を求める要請書を中部地整と水資源機構に提出し、意見交換が始まっている。

 漁業者とつながりの深い鈴木の危機感は強い。「流域は海も山も川もつながっている。上中流域の岐阜の人たちも一緒に考えてほしい」

(敬称略)

 【長良川河口堰(ぜき)】 長良川の河口から5・4キロにある治水と利水を目的にした可動堰。1968年に建設が閣議決定され、88年に本体工事着手、95年7月に運用を始めた。総延長661メートルで調節ゲートは10門。堰上流を淡水化し、愛知、三重県、名古屋市の水道用水、工業用水として毎秒22・5立方メートルの取水を可能にした。