 
 「存続」のたった2文字がまぶしかった。2005年2月3日の夕方。「廃止ノー」を訴えてきた笠松愛馬会メンバーが、震える手でネット上に発信した短いメッセージ。笠松競馬で働くホースマンや応援するファンの切実な願いが凝縮されていた。「競馬がやれる」と、うれし涙を流した。
あれから20年の時が過ぎた。「ウマ娘シンデレラグレイ」ブームで沸騰し、聖地巡礼で来場する若者の姿が増えた笠松競馬場だが、馬券販売が現在の4分の1以下で1日1億円売れるかどうかという厳しい時代もあった。05年には赤字解消の基金も底をつきそうで、限りなく廃止に近い状況に追い込まれていたが、混乱の中、現場のホースマンたちが存続の光を求めて底力を発揮した。
■期間限定の「延命措置」だったが、ファンにも朗報
04年9月「経営は既に構造的に破綻しており、速やかに廃止すべき」(第三者委)という物騒な中間報告があり、笠松競馬関係者に激震が走ってから4カ月半。90%以上は「廃止」を覚悟させられる厳しい内容だったが、現場の熱意で「1年間の試験的存続」を勝ち取った。期間限定の「延命措置」ではあったが、「廃止」の2文字を覚悟していた騎手や調教師はもちろん、必死に存続の署名活動などを行ってきた厩舎関係者の家族、ファンにとっても朗報となった。
笠松競馬はオグリキャップ、ライデンリーダーら名馬を輩出してきた「地方競馬の雄」で、存廃の動向は全国への影響力が大きかった。その笠松競馬に対して「廃止」の一言があれば、競走馬を供給する馬産地・北海道をはじめ日本の競馬界が大打撃を受けることになる。他場もバタバタと倒れ込み、地方競馬廃止の流れが加速してしまう大きなターニングポイントでもあった。
時代背景としてはバブル経済崩壊後、全国では01年から4年の間に中津、新潟、宇都宮、益田、足利、上山の地方競馬6場が相次いで廃止になっていた。「次は笠松か」と注目を浴びていた厳しい時代だった。
笠松競馬場の入場者アンケートでは50代以上が約7割を占め、40歳未満は2割程度だった。オグリキャップ人気でぬいぐるみが飛ぶように売れた時代、中央では「おやじギャル」と呼ばれた若い世代も競馬場に多く足を運んでいたが、経済の減速とともに、平日開催が多い笠松など地方では年金暮らしの高齢者の姿が目立っていた。
笠松競馬としては国などにも財政支援を働き掛け。「地方競馬の振興は、馬産地や中央競馬の発展に不可欠」として、地方と中央が共存できる抜本的な競馬制度の確立などを要望。地方競馬の経営改善を図るため、支援交付金制度の創設などを求めていた。
 
 ■賞金・手当など経費約7億円カット受け入れ
「存続か、それとも廃止か」の結論が出される運命の一日を迎えた。笠松競馬の存廃を最終判断する岐阜県と笠松町、岐南町の首長による三者協議が県庁で開かれ「1年間の期限付きで存続させる」ことが決まった。
馬券のネット販売の意向を見せているライブドア(東京都)と北海道の競走馬生産者団体が経営参入に前向きで、調教師などの競馬関係者団体が賞金・手当など約7億円をカットする合理化案を受け入れたからだ。ただ県と2町は経営赤字を税金で補てんしない方針を変えておらず、1年後の運営結果によっては廃止の可能性が残されたままになった。
■「赤字=即廃止」厳しい道のり変わらず
1年間の試験的存続。プロ野球選手でいえば「1年間の単年契約」であり、成績が悪ければ契約延長はない。11年間も赤字続きの笠松競馬が新年度も黒字化を果たせず、取り崩してきた基金を含めて1年後に「赤字転落なら即廃止」となる試験的なものだった。
県地方競馬組合は調教師や騎手など関係者に賃金カット、地権者の借地料を固定資産税分だけとする合理化案を提示。関係者がこれを了承し、組合は約7億円の経費を削減する新予算案をまとめることになった。三者協議では、組合本部を笠松町に置き、組合管理者を棚橋晋副知事から広江正明笠松町長へ移管することも決めた。会見した梶原拓知事は「背水の陣で臨む。厳しい道のりは変わらない」と語った。
 
 ■存続決定に現場関係者ひとまず安ど
岐阜新聞など各紙の社会面では厩舎関係者らの切実な声が伝えられた。
存続はひとまずうれしいが、まだ道半ば…。「1年間、テスト的に存続をしようということでございます」。梶原知事の言葉に、県庁へ詰め掛けた騎手や調教師、その家族らから拍手が起き、感激のあまり涙ぐむ姿もあった。
知事室の前で存廃の結論を待ち、三者協議の会見を見守った関係者たち。話し合いは約1時間半に及び、この後に開かれた記者会見。安どの表情を浮かべたものの「喜んでばかりはいられない。やるのはこれから」。赤字発生が許されず、経営合理化に伴う収入の減少で今まで以上の厳しい生活が予想される新年度に、期待と不安が入り交じった表情を見せた。
■大幅な収入減、岩崎存続委代表は黒字化に自信
経費約7億円の大幅カット。経営合理化案には、賞金・手当の減額をはじめ、レース開催と出走頭数の縮小が盛り込まれた。現場の生命線でもある競走馬の減少は死活問題で、騎手らにとって騎乗手当(当時、1頭4000円)などの減少はとても痛いことだった。
それでも存続を願い、その道はつながった。騎手や調教師の意見を取りまとめ、県との折衝を担ってきた笠松競馬存続委員会の岩崎幸紀代表は関係者たちと笑顔で握手を交わした後、「やった、という気持ち。存続決定は知事と2町長の決断と関係者の努力のおかげ。経費削減などでつらいことも多くなると思うが、楽しさに変える」ときっぱり。「地域に根差した競馬運営をしていきたい。競馬場に足を運んでもらえるようにすれば、黒字になる自信はある」と力を込めた。
今後の売り上げ振興策として、移動式馬券売り場(ミニ場外)の稼働や、ファンと騎手との交流促進に取り組む考えを提案した。伊藤強一調教師は存続の一報に「頑張ったかいがあった。競馬がやれる、それが何よりうれしい」と目を潤ませた。
 
 ■後藤愛馬会代表「現場が頑張るしかない。ファンサービス懸命に」
存続を求める署名活動を展開してきた笠松愛馬会の後藤美千代代表は「この1年が正念場。現場が頑張るしかない。これまで敷かれたレールの上を歩くだけだった私たちも甘かった。『新笠松競馬場』づくりのため力を合わせていかなきゃ。ここが本当のスタート」と決意を述べた。
「競馬場の現場で働く人たちが一体となれたことが存続結果の一番の理由だが、人件費の削減など経費削減に努力し、大きなチャンスを生かしたい」と前を向いた。さらに「コスト削減で賞金が下がると、馬を置かなくなる馬主が出てくるかもしれない。自分たちでできるファンサービスを一生懸命にやっていいきたい」と気を引き締めた。
■山下調騎会長「イベントなど展開」、一方「見切り発車」と不安の声も
経営が劇的に改善する見通しは立っておらず、先行き不透明なままでの存続となった。廃止を前提とした中間報告に対して「思い切った改善策もないまま基金を取り崩して(さあ廃止では)道義的におかしい」と憤っていたのは県調騎会の山下清春会長。試験的存続では「もっと笠松競馬をPRすることが必要。県と2町との連携を密にしてイベントなどを展開したい」と、笠松競馬再興に向けて意欲を示した。
一方で、ある笠松競馬関係者は「ライブドアのネット販売も北海道の競走馬生産者との公益法人も細部はこれから。何も担保のない中で見切り発車して大丈夫なのか」と不安げな声もあった。
 
 ■広江笠松町長「存続に向け努力していく体制整った」
記者会見で梶原知事は笠松競馬の今後の運営について、県と笠松町、岐南町の三者が、競馬関係者との協力連携を強化する必要性を強調した。
存続を強力に推進してきた広江正明笠松町長は「知事の発言を踏まえ、存続に向けて努力していくための体制が整った。地主や生産者、職員など皆さんの協力のおかげ」と感謝を述べた。片桐博彰岐南町長は「厳しい道のりとなる。今まで以上に状況は大変で、競馬関係者にはかなり我慢してもらうこともあるが、再来年以降も継続できるよう努力していきたい」と現場の底力を期待した。梶原知事は「県が廃止前提に動いていると、関係者に誤解されたのは不徳の致すところ」と述べた。
 
 ■安藤勝己騎手「存続は生まれ変われるチャンス」
笠松競馬存続の知らせに、JRAで活躍する笠松出身の安藤勝己騎手は「とにかくうれしい。ホッとした。これからが大変になるでしょうが、存続は生まれ変われるチャンス。笠松競馬のためにできることがあれば何でもしたい」と喜びを語った。
「地方競馬の廃止が各地で続く嫌な流れも食い止めた。廃止となれば競馬界全体がレベルダウンをしていたので良かった。これを機に、全国の競馬に携わる人たち全てが、地方競馬の活性化策を考えないと」と願った。
地元ファンや町民らは「廃止はないと思っていた。無駄を削ってきちんと見直しすれば利益は出るはず」「人が集まれば駅前も店もにぎわう。競馬場存続は町の活性化に必要」と歓迎した。一方で「赤字の増える期間が延びるだけ。良い決断とは思えない」といった声もあった。
「自分たちには競馬しかない」。家族との生活を守り生きていくために存続活動を実らせた騎手や調教師ら厩舎関係者。賞金・手当の大幅カットにも「存続のためなら」と厳しい条件を受け入れたのだった。
■「皆さんを路頭に迷わせるわけにはいかない」
「競馬を続けたい」という現場の悲痛な叫びは、梶原拓知事や笠松、岐南町の両町長を動かした。県庁に乗り込んだ笠松愛馬会メンバーからは「存続の直訴」を受けた。「競馬で生活している皆さんを路頭に迷わせるわけにはいかなかった」。知事らも現場の声に耳を傾け、最終的にはその熱意に応える道を選択した。笠松競馬に携わる人は約1100人。存続問題は、厩舎関係者や競馬組合職員のほか場内の売店、周辺商店街、飼料業者らの生活にも大きく影響した。
 
 新年度の予算編成が迫る中、仮に「廃止の道」を選択するにしてもタイムリミットが迫っていた。厩舎関係者らへの補償金が必要となり、用地の大半を占める借地の返還問題もあった。場外馬券場「シアター恵那」の建設償還額(年間2億7000万円)は足かせにもなっていた。県知事バトンタッチのタイミングでもあったし、「負の遺産」となりそうな競馬場運営を引き継がせたくない思いも強かった。
当時の笠松競馬のスターホースといえば、中央GⅠにも参戦したミツアキサイレンス(宝塚記念12着)やミツアキタービン(フェブラリーS4着)がいた。ともにオグリキャップ記念を制覇しており、全国レベルの名馬だった。
■黒字化へ綱渡り、新たな戦いゲートオープン
バブル経済崩壊後は馬券販売が年々減少。染み付いてしまった赤字体質からいかに脱却させるか。ファンに笠松競馬の魅力をどうアピールし、馬券を買っていただくか。「1年間の試験的存続」という延命措置から、毎年「黒字」を達成し「永続」につなげるため、現場にとって新たな戦いとなるゲートがオープンした。
当時も馬券のインターネット販売はあったが、一部のファンにしか普及していなかった。あの手この手を使ってファンを競馬場に呼び込み、現場が底力を発揮しなければ、再び「廃止案」が浮上するかもしれない綱渡りの1年がスタートした。(「笠松競馬、存続へ光を求めて」の特集は今後も随時掲載していきます)
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 (筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
 
 ☆最新刊「オグリの里4挑戦編」も好評発売中

「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」に続く第4弾「挑戦編」では、笠松の人馬の全国、中央、海外への挑戦を追った。巻頭で「シンデレラグレイ賞でウマ娘ファン感激」、続いて「地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった」を特集。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、196ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。笠松競馬場内・丸金食堂、ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも。









