7月の岐阜県議会で明らかになった岐阜市と周辺地域でのLRT(次世代型路面電車システム)の構想。20年前に路面電車網を丸々なくした岐阜。大きな反響を呼んでいます。隣県の富山市では、国内初のLRTを実現し、多くの乗客を乗せて走っています。LRTは富山のまちに何をもたらしたのか。その一端を探るべく、富山市を訪れました。そこでは、生活に根付き、観光の足にもなっている電車の姿がありました。(岐阜新聞デジタル独自記事です)

■富山の路面電車網

始めに、富山の路面電車網について紹介します。
人口40万人ほどの富山市で路面電車を運行しているのは、私鉄の富山地方鉄道(地鉄)。昔から走っている地鉄の路面電車は、南富山駅-富山駅前-富山大学前の路線。富山駅の南側に広がる中心市街地を通っています。
かつては他にも路線がありましたが、昭和40~50年代にかけて路線網が縮小されています。
2006年に国内初の本格的なLRTとして富山ライトレール(当時、現・富山地方鉄道富山港線)が富山駅北~岩瀬浜駅間で開業。当初は、富山駅を挟んで南北で二つの路面電車があるという状態でした。
2009年には中心市街地を囲むように走る環状線が開業。2015年の北陸新幹線金沢開業にあわせ、富山駅の新幹線高架下に停留所を新設しました。

■JRのローカル線をLRTに再生

国内初の本格的なLRTとなった富山港線。もともとJR西日本の路線でした。1924年の開業時は私鉄。沿線に工場が多くあり、貨物輸送も盛んに行われていました。戦時中の43年に国有化されます。貨物輸送は1980年代に廃止されています。
なぜ旧国鉄・JRの路線がLRTになったのか。そのきっかけは、北陸新幹線でした。
新幹線建設に合わせ、北陸線などJR在来線の富山駅周辺も高架化することになりました。その際、利用者が減少していた富山港線をどうするかが問題になったのです。
選択肢は三つ。高架にするか、廃止してバスで代替するか、路面電車に作り替えるか。
2003年、富山市は路面電車化を選びました。

JR富山駅の北側に設けた停留所を起点に、1.1キロの軌道を新たに建設して、従来の線路と接続。新駅も設けました。2006年2月限りでJR西日本の路線としては廃止。2カ月ほどの間に切り替え工事などを進め、同年4月29日に「富山ライトレール」として開業しました。
JR時代末期は、国鉄急行形電車やワンマン気動車が30~60分に1本走るというローカル線。LRT化で、カラフルな低床車両が日中は15分の高頻度で運行するようになりました。
■通勤通学も観光も
岐阜駅から約3時間。敦賀駅から乗った北陸新幹線「つるぎ」を降り、富山駅の改札を出ると、目の前に色鮮やかな電車が停まっていました。

まずは富山港線の終点・岩瀬浜駅を目指します。富山駅から約30分の道のりです。...