スタンド前を駆け抜ける各馬に熱い視線を送るファンたち

 オグリキャップが走っていた頃、笠松競馬場内はいつも活気にあふれ、ファンの熱気に包まれていたが、今では見掛けなくなった来場者もいた。

 笠松デビュー2、3年目の頃だ。いつも以上に混雑していたが、場内に入ってすぐ「やあヤマちゃん、お久しぶり。引っ越しの時に会ったよね」と見知らぬお兄さんが声を掛けてきた。自販機コーナーに入って振り返ってみたら、ニヤリと笑っていた。「引っ越しなんかで頼んでないし」と嫌な予感。馬券初心者を狙って予想代を詐取する「コーチ屋」のような感じがしたので無視した。競馬に関して「素人」のように見られた気がして、ちょっと悔しかった。

 年末の大一番、東海ゴールドカップではガチガチのマッチレースもあった。名古屋のゴールデンモンド(坂本敏美騎手)が、笠松のリュウフレンチ(町野良隆騎手)を破ったレースは枠連190円という安さだった。23戦20勝という東海公営歴代最強馬ゴールドレットに2度勝ったゴールデンモンド。一方のリュウフレンチは東海ダービー馬。どっちが勝つか「名古屋×笠松」の対抗意識は今以上に強く大盛り上がり。東海公営では有馬記念のようなビッグレースでもあり、低配当でもファンは馬券を握りしめて熱い声援を送った。                

多くのファンでにぎわう笠松競馬場内の投票所

 ■払戻所前に「両替屋」のおばちゃんの姿

 そんな低配当だと、払戻所前には的中者の長い列ができた。各窓口にはそれぞれ50人ほどが並ぶこともあった。こんな時には払い戻しを代行してくれる「両替屋」(合法)のおばちゃんの姿もあった。冬場だとフード付きのコート姿で、椅子に座って帰り際のお客さんに対応していた。

 先輩に聞いた話では「競馬場公認で、手数料として100円単位の端数やご祝儀を受け取っていた」とか。レース確定直後、次のレースの馬券を購入したり、帰りを急ぐファンたちが利用していた。笠松・名古屋競馬場の常連客が多く、周囲にも「当たったんだよ」とアピールできてうれしそうだった。

 バブル崩壊とともに入場者は減ったが、3連単など高額配当が増えたため、昔懐かしい「両替屋」も役目を終えた。場内をにぎやかに彩ったひとコマ。時代の流れとともに、正門や東門近くでたばこやサインペンなどを売っていたおばちゃんたちも姿を消した。希望者に配っていた「走るドラマ」と書かれたマッチ箱が懐かしい。

笠松競馬場内で馬券を購入するファンたち

 ■締め切り直後、発売機で万札を取り忘れた

 「偽造馬券に注意」といえば、笠松競馬場でよく耳にした場内アナウンス。「駅・駐車場など場外で『馬券を払い戻す時間がない』などと言葉巧みに持ち掛けられ、払い戻しの際に偽造馬券と気付く被害が発生しています」と注意を喚起。詐欺罪や有価証券偽造罪にもなる犯罪である。近年はウマ娘ファンら若年層を狙ったケースも増えており、JRAのウインズなどでも横行している。もうけ話を装った「払い戻しの代行」。もし見知らぬ人に頼まれてもだまされないようにしたい。
 
 馬券の自動発売機には「おつり・投票券 取り忘れにご注意!」と表示されてある。皆さんも馬券を買おうとして現金などを取り忘れた経験があるのでは。情けないことに以前、自分もやってしまったことがあった。

 あれは笠松の特別観覧席でのことだった。締め切り間際、慌てて発売機にマークカードと1万円札を入れたが間に合わず。返還となったのだが、勝負レースで買えなかったことにカッとなった。買い目を記入したマークカードだけ受け取って、現金の方には手を伸ばさず、その場を離れてしまったのだ。

場内に設置されている馬券発売・払戻機。おつりや馬券の取り忘れに注意したい

 数メートル後ろで専門紙を見ていて、すぐ取り忘れに気が付いて発売機を確認したが、既に万札はなくなっていた。この間30秒ほどだった。投票所内のスタッフさんに「取り忘れた」と問い合わせても届けられておらず。その場を一度離れた自分の責任ではあるが、やはり後ろに並んでいた人が持ち去ったのか。

 馬券か現金のどちらかを取り忘れた客には、最近では後ろで見ている警備員さんがすぐに声を掛けてくださるのだが、この時はノーマークだった。「負の連鎖」で失った分も取り返そうとさらに熱くなってマイナスを倍増させてしまった。

 締め切り間際の投票では、ぎりぎり馬券を買えることもあれば、遅かったということもよくある。近年は他場との相互発売が進み、インターネット化もあって全国一斉に定時で締め切られる。かつては笠松競馬場(単独発売)でも「客が並んでいるうちは、売れるだけ売っちゃえ」といった風潮で、締め切り時間後もしばらくまだ買えたが、そんな時代ではなくなった。

コースは1周1100メートル。1982年当時の笠松競馬場と周辺の様子

 ■パチンコ店やスーパー銭湯でも取り忘れ

 現金の取り忘れには注意したいが、他の施設でも経験があった。かつてパチンコ店で1万円札を両替しようとした。500円玉が6個と1000円札7枚が両替機から出てきたが、500円玉だけ手にしてスロット機の前に座ってしまったのだ。スーパー銭湯では発券機に万札を入れて回数券を買ったが、おつりを取り忘れた。いずれのケースもやはりフロントには届けられておらず、悔しい思いをした。
 
 それでも一度、笠松競馬場内でうれしいことがあった。西スタンド下の第4投票所で馬券を購入しその場を離れたら、後ろに並んでいた人が駆け寄ってきたのだ。何かと思ったら「取り忘れていましたよ」と発売機に残っていた100円玉を届けてくれたのだ。常連客だったのだろう。発売機では過去に苦い思いをしたこともあっただけに、たった100円ではあったが妙にうれしかった。笠松のお客さんを見直したワンシーンでもあった。

 長い間、笠松競馬場に通っていると、馬券以外にもいろいろな失敗がある。90年代の日曜日だったが、場内アナウンスで名前を呼ばれ、電話番号先に連絡を入れるよう告げられたことがあった。何事かと胸騒ぎがしたが、相手先は職場だった。

 この日は新聞休刊日で出勤するする必要もなかったのだが。休日出勤者から「競馬場近くの路上で駐車違反になっている。警察から連絡があった」とのことだった。無料駐車場は遠いし、すぐに帰れるようにと路上に車を止めていた。近隣の住民から苦情があったそうで駐車違反となったのだ。それ以来、必ず無料駐車場(満車時は有料駐車場)を利用するようになった。

高校野球岐阜大会の熱戦が繰り広げられている長良川球場

 ■甲子園へ向かったのに、阪神競馬場にいた

 猛暑日が続いている炎天下、夏の高校野球地方大会は真っ盛り。きょうも長良川球場で準々決勝、帝京大可児×岐阜第一戦をライブ観戦。岐阜新聞デジタル「森嶋ルポ」によると今大会の左右ナンバーワン投手対決とのことで、緊迫した投手戦を期待したが「8-7」と打撃戦の末、応援した岐阜第一は惜敗した。
 
 岐阜県勢の甲子園での活躍も期待したいところだ。19年前、センバツ大会準決勝に進出した岐阜城北と横浜の一戦を観戦しようと、新幹線で阪神甲子園球場に向かったことがあった。「優勝まであと2勝」の県勢を応援しようと意気込んでいた。ところが、着いた先は同じ兵庫県内でも、何と阪神競馬場だったのだ。

 京都駅辺りを走行中の車内で、天候悪化から甲子園の試合が雨天中止になったことを知ったからだ。ここまで来て引き返すのもばからしいので、阪神競馬場に向かったのだった。
 
 その頃、JRAでも3連単が導入されていた。福島メインレースは「福島中央テレビ杯」。3連複なら「2-4-13」で1点になる目を3連単で6通り購入。本線に1000円投入し、的中すれば「200万円コース」を狙った。

 結果は2番人気→7番人気→10番人気で「4-2-13」が入り、3連単は16万円超え。的中馬券は100円だけだったが高配当をゲットできたのだ。

 岐阜羽島駅を出発した時点では、県勢の甲子園での試合を観戦しようとしていたのに、雨脚が強くなって行く先を変更し阪神競馬場に直行した。この時ばかりは結果的に「恵みの雨」ともなり、試合中止に感謝した。「人生、どこでどう転ぶか分からない」と実感できた一日となった。なおセンバツ準決勝、岐阜城北は4-12で横浜に完敗したが、智弁和歌山などを破ってのベスト4進出は立派だった。決勝戦、横浜は21-0で清峰(長崎)を破り、圧倒的強さで優勝した。

笠松競馬場の正門。入場料は4月から無料化され、人の流れもスムーズになった。入場者は30%以上増加した

 ■改札機に特急券を入れたつもりが馬券を⁉

 アンカツさんがJRÅに移籍してからは毎週買っていた「競馬ブック」。あるコラムの筆者が名刺交換の際に、財布から取り出した馬券を相手に誤って手渡そうとしたとか。確かに名刺と馬券のサイズはほぼ同じで間違えたそうだ。おかしな人がいるもんだと笑っていたが、実は自分も似たような、それ以上のことをやってしまったのだ。

 あれはやはり阪神競馬場へ行った帰り。JR新大阪駅で新幹線に乗り換えようと、改札機に乗車券と特急券を入れたつもりが、ゲートが閉まってしまい、通り抜けられなかった。係員を呼んで調べてもらったところ、改札機に入れた1枚は財布から誤って取り出した「外れ馬券」だったのだ。
 
 情けないことに、往復切符で財布に入れていた特急券と間違えて、馬券を重ねて改札機に入れてしまったのだ。「あ~、最低のことをやってしまった」。名刺交換で馬券を手渡そうとした人を笑えなくなった。 

ファンで埋まったスタンド前。ゴールを目指して熱戦が繰り広げられられた笠松競馬場(1980年)

 ■騎手が1周勘違いで八百長騒ぎ、経営難で廃止寸前にもなった

 40年以上の笠松競馬場ライフで最大のミステリー。1981年の「騎手が1周勘違い、笠松では大荒れ」については「オグリの里3熱狂編」でも詳しく紹介している。翌年の有馬記念優勝馬にもなった「◎印ヒカリデュール」の出走取り消しを知らずに馬券を買った。1番人気に推されたダイサンフジタカが1周目で減速し、八百長騒ぎとなったのだ。

 ヒカリデュールと同じ8枠にいたサンローレオー(アンカツさん騎乗)が勝ったおかげで枠連4970円をゲット。ゴルフクラブのハーフセットを買うことができた。まだ競馬初心者だったが「笠松競馬場の沼」にどっぷりとはまるきっかけとなった事件。アレがなかったら、この競馬コラムは書いていないだろうし、競馬そのものを続けていなかったかも。

 2004~2005年には、まだ赤字でもない笠松競馬場が廃止寸前となった。当時は報道部記者で「笠松競馬存廃の行方」を社会面に連載した。微力ながらも存続を後押しできたと思っている。こちらの内容は「オグリの里1聖地編」で全文を紹介している。「1年間の試験的存続」という厳しい条件だったが、現場の関係者は赤字体質脱却に必死で挑んだ。その頑張りがあったこそ、現在のⅤ字回復につながった。当時、レースやイベントで絞り出したアイデアの数々については次回紹介したい。


 ☆ファンの声を募集

 競馬コラム「オグリの里」に対する感想や意見などをお寄せください。笠松競馬からスターホースが出現することを願って、ファン目線で盛り上げていきます。
 (筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
 
 ☆「オグリの里3熱狂編」も好評発売中

  「1聖地編」「2新風編」に続く第3弾「熱狂編」では、人馬の激闘と場内の熱狂ぶりに迫った。巻頭で「ウマ娘シンデレラグレイ賞のドキドキ感」、続いて「観客大荒れ、八百長騒ぎとなった昭和の事件」を特集。ページ数、カラー写真を大幅に増やした。