
30歳で地方競馬騎手「一発試験」に合格。笠松でデビューした井口裕貴騎手
単勝万馬券馬で2着好走後も「勝ちたいです」と、真夏の太陽のように闘志ギラギラ。中学時代、ダイワスカーレットなどに騎乗していたアンカツさん(安藤勝己騎手)にカッコイイと憧れて、ジョッキーになる夢を追い掛けてきた。その青年が30歳になって、騎手免許のいわゆる「一発試験」に合格。オグリキャップの聖地に導かれたように笠松の地でゲートインを果たし、大きな一歩を踏み出した。
8月11日、笠松競馬場でデビューを果たしたのは井口裕貴騎手。7月18日、NARの地方競馬騎手免許試験の合格者発表で、ただ一人ジョッキーへの道を切り開いた。初日は4着が最高だったが、2日目1Rでは超人気薄の馬で好騎乗を見せ、馬券圏内に突っ込んだ。この日は2着2回と健闘した。
■遅咲き大卒ルーキー、夢舞台のゲートを開いた
井口騎手は京都府宇治市出身。大卒ルーキーとして騎手デビューの夢を実現した。後藤佑耶厩舎に所属。「一発合格」では昨年、小牧太騎手が中央競馬から地方・兵庫へ復帰した。

雨の中、紹介セレモニーで「念願のデビューができて夢のようで、最高です」と話す井口騎手
井口騎手のデビュー初戦はヒマワリノコに騎乗し4着。6R終了後、大雨の中、新人ジョッキー紹介セレモニ-が開かれ、多くのファンが声援を送った。同じ厩舎の明星晴大騎手がプラカードを持ち、大原浩司騎手と東川慎騎手も加わった。ジョッキーとしては遅咲きデビューで、苦労人ともいえる大型新人が夢舞台のゲートを開いた。
井口騎手は「念願のデビューができて夢のようで、最高です。高校から馬術部に入って、大学卒業後は園田の厩務員やニュージーランドに行ったり、いろいろ挑戦してきました。僕にとって忘れられない日になるので、来てくれた人にも一生の思い出になってくれたらなと思います。一生懸命頑張るので、応援してください。力になるのでお願いします」とファンに呼び掛けた。
セレモニーの時間帯に雨脚が非常に強くなった。空からも祝福の嵐が降り注いだかのようで、険しい道を歩いて夢を追い掛けてきた井口騎手らしいとも感じられた。大勢のファンが温かい拍手と「頑張れよ」と声援を送った。駆け付けた家族にも見守られて、競馬組合やファンから花束を贈られた井口騎手。後藤正義調騎会会長からはデビューを祝うステッキが贈呈された。降りしきる雨以上に、大粒の涙を流していたようだが、その訳については、2日目最終レース後のインタビューの中で明かしてくれた。

2日目1R、最低人気馬で2着に突っ込んだ井口騎手(5)=場内モニター映像
■最低人気馬で、後方から追い上げ2着
―きょうは2着が2回あっていい騎乗でしたね。
「初日は気持ちが強すぎて空回りしちゃったんで、きょうは最後しっかり伸びるように道中は脚をためて、勝負どころを意識し強い馬をマークして乗りました。それが良かったのかな」
―最初の2着馬は最低人気で結構伸びていて、いい騎乗だった(前走10着のイイデスカイルル、単勝104,5倍)。
「なるべくロスなく内々を突いて最後は外に出した(6番手から3番手に押し上げ)。うまくいったが、もうちょっと落ち着いて乗って勝ちたかった。ステッキで『行ってくれ』とがむしゃらになっちゃって。次は焦らずに追って伸ばしたいです」
―騎乗スタイルとしては、どういった脚質の馬が好きですか。
「きょう乗った感じでは前づけできる方がいいですが、どっちでも。(新人の特典である)3キロ減を生かすためにも前へ行って脚をためられる馬の方が勝ちやすいかと」
―厩舎サイドも3キロ減を生かして積極的に乗ってもらいたいと。勝てば単勝万馬券でしたね。
「3キロ減は生かせたんじゃないですかね。万馬券にはもうちょっとでしたね」
―4Rでは二つ目の2着もあったね(前走出遅れ12着のカリンテラス)
「ゲートを出るのが速く、2番手でじっくりためて逃げ馬の横にずっとつけていた。1600メートルはどんなペースになるか分からなかったが、ちゃんとハミをかんでくれていた。最後の直線では突き放されてしまい、馬の力の差があった」

贈られた花束を手に闘志を燃やす井口騎手。ファンの応援を力にしたい
■「安藤勝己はすごいぞ。地方から中央に来て」騎手目指すきっかけに
―生年月日、身長と体重は。
「1995年5月14日生まれで、身長は170センチ(明星騎手と同じ)。体重は50キロぐらいでレースに乗っています」(負担重量52キロでの騎乗が多い)
―ジョッキーを目指したきっかけは。
「中学の頃、騎手になりたがっていた友達がいて。競馬を熱く語られて。親友なんですが。その『熱』に影響を受け、僕も騎手を目指したいなと。中央も地方もどっちも好きになって『安藤勝己はすごいぞ。地方から中央に来て』とその友達が教えてくれたんです。中学の頃から地方競馬も知っていて『アンカツってカッコイイナ』という感じから競馬に興味を持ちました」
―アンカツさんのどの馬やレースが印象に残っていますか。
「気付いた頃にはすごい人やったんですよ。ダイワスカーレットとかに乗って。友達に『このレースすごかったんやぞ』と言われ、本屋に行って雑誌を開いて『これどっちが勝ったと思う?』(ウオッカとの天皇賞・秋ハナ差2着)と。それでどんどんはまっていっちゃって。アンカツって人、地方(笠松)から成り上がっていったみたいな。中学生の頃で、そんな人に引かれちゃって」
■「ハラハラさせてくれる。競馬ってこんな面白いんや」
―笠松から駆け上がったオグリキャップと一緒だもんな。
「地方でもどこでもいいので、騎手になれたらいいなという気持ちでした」
―当時、好きな馬はいましたか。
「アンカツつながりでやっぱりオグリキャップが好きでした。現役馬では、中央の下の方のクラスでアナモリという馬。ダートの短距離で毎回追い込んでくる。届くか、届かないかでハラハラさせてくれる。競馬ってこんな面白いんやなと思わせてくれた。上のクラスでは馬よりも騎手に目がいっていて。アンカツさんのほか藤田伸二騎手、若手では浜中俊騎手が好きでスリーロールスが菊花賞を勝った時は見に行っていた」
■NARの騎手試験は体重制限で断念
―高校には馬術部があったそうですね。
「洛水高校です。京都で唯一、馬術部がありました。卒業後は尼崎市(兵庫県)の関西国際大学に進学。サークルはフットサルとか、軽音楽(ギター)で大学生活を楽しんだ。教育学部で教職の免許(小学校教諭や特別支援学校)を取得した。それでも4年間、騎手になりたいとモヤモヤしてた。NÅRの騎手試験を受けようと20歳で最後のチャンスに願書を出したが受験できなかった。体が大人になっていて、体重制限46キロ以下という規定は、きつすぎて動けない。でもそこで諦めきれていなかったんでしょうね」

レースでゴールを目指す井口騎手(5)
「高校の馬術部同期の友達がオーストラリアへ行って騎手デビューを果たした。『自分も頑張ろう』と大学卒業後すぐに兵庫競馬(有馬澄男厩舎)の厩務員になり、「持ち乗り」として調教も行うようになった。実際乗ってみるとすごく難しかった。クールブルーズという初めての担当馬で4周持っていかれて落馬した。心は折れたんですが、厩舎で先生に『下を向くな。なにくそと思ってやらんか』と言われてまた火が付いた感じでしたね」
■ニュージーランドでも夢破れ、笠松で厩務員として再スタート
―園田では何年ぐらいやって笠松へ来たのですか。
「23歳の頃、園田に入って厩務員を5年ほどやって、ニュージーランドへ行きました。騎手になるには英語力(試験)が必要で厩務員として働きながら1年学びましたが、仕事もハードで断念した。笠松には昨年3月に来て4月から厩務員として後藤佑耶厩舎で働き始めました」
―後藤ファミリーの名門で、リーディング2位の厩舎ですね。長江慶悟騎手が引退し、明星晴大騎手と井口騎手でまた2人になりましたね。調教はどうですか。
「活気がありますね。厩務員の時は、自分の担当馬5頭を調教させてもらっていた。騎手試験前に馬場改修が始まり、藤原幹生騎手が期間限定で南関東に行かれたんで(騎手が減って)、そこで「攻め専」(調教を専門に行う)になりました。一発試験の1次は通っていたんで、合格する前提でここで決めたくて」
―1次試験は難関の筆記でしょ。それを通過すればかなりの確率で受かるのでは。
「園田では2次で落ちている人も結構いた。僕自身、園田で2回受けて1次で落ちた。猛勉強していましたが、競馬法規は年度ごとに新しくなって、試験の時に見たことがない問題が出てきた。必死にやっていたんですが、心は折れました」
―でも笠松に来て一発で受かるなんてすごいことですよ。
「騎手になりたいという気持ちでずっとやってきたんで。頑張って結果が出なくても、年齢的にも『もうこれで最後にしよう』ぐらいの気持ちで睡眠時間を削って猛勉強した。受験は3回目でしたから一発じゃないですけど。馬に乗れないところから始めて長かったです」
(数少ない大卒ジョッキーとして夢をかなえた井口騎手。「大卒」といえばJRAでは昨年、33歳・坂口智康調教助手が障害競走のジョッキーに転身。これまで5勝を挙げている。地方競馬では名古屋の小山信行元騎手(宮下瞳騎手の夫)が地方通算611勝を挙げた)

中学時代の友達からも勝負服カラーの花束を贈られて、涙を流しながら活躍を誓う井口騎手
■中学時代の親友から勝負服オレンジ色の花束、あふれた涙
―今回の騎手合格者は全国で井口さんだけ。ジョッキー不足の笠松では、難関の一発合格を目指している厩務員もいるが、なかなか受からないですよ。
「筆記試験が難しいですね。暗記が必要で、働きながらやるというと遊ぶ暇はない。紹介セレモニーでは、僕が騎手を目指すきっかけになった中学時代の親友が雨の中、勝負服のオレンジ色の花束を持って来てくれたんですよね。今住んでいる福島からわざわざ。それでちょっと泣いちゃったんですよ」
―大雨の中、ぐしょぐしょに泣いていたよね。
「彼も競馬学校(地方競馬教養センター)に1回入ったんですけど、体重調整がきつくて途中で辞めちゃって。セレモニーではそんな彼に握手されて泣いてしまったんです」
―渡辺竜也騎手から木馬の訓練を受けたそうですね。どんなアドバイスでしたか。
「2次試験の前に、ステッキの持ち方など。『こうやったら確実性がある』とかポイントを教えてもらい、それが試験の時、役に立ちましたね。絶対にミスしないようにと、調整ルーム内で手伝ってもらった。騎手用の木馬を使って、ステッキの持ち替えを助言してもらいました。教養センターの馬はこんな感じの馬が多いから、ステッキを思い切り打ったら、よれるよとか。具体的なアドバイスを受けて『軽く触るぐらいの方が真っすぐに走らせられる』とも教えてもらいました」
(笠松のトップジョッキーからアドバイスを受け、優しい先輩騎手らにも見守られて、すっかり溶け込んでいるようだ)
―勝負服のデザインはどう決めましたか(橙・胴青星散らし)。
「ニュージーランドのティアカウ厩舎の勝負服がモチーフです。リーディング1位にもあやかって、その柄にしました。オレンジが好きで、心理的にも元気になるという色で、みんなにも元気さが伝わり、いい思いをして帰ってもらえれば」
―ジョッキーというのは危険な職業でもあるが、ご家族はどうでしたか。
「そこは心配もしていると言っていましたが、みんな喜んでくれています。初日、2日目も応援に来てくれました。母、姉、おいっ子とかがね」

3日目には7番人気の馬で3着もあった
■「勝つ騎手になりたい。結果を出したい」
―どんなジョッキーになりたいですか。
「まだ勝ててないんで、取りあえず勝つ騎手になりたい。結果を出したいですね」
―騎手は10代でデビューする人も多いですが、30歳で騎手になられて苦労人という感じですね。ヤングジョッキーシリーズ(YJS)には出られますよね。
「出られるんじゃないですか。まだヤングじゃないですか、30歳は。ハハハ」
(2016年には田村直也騎手=兵庫、引退=が31歳で厩務員を経て一発合格。19年にはYJS笠松ラウンドにも出場し、見事1着になった)
―ジョッキーライフ、年齢は関係なく60代までやっている人がいっぱいいるから(笠松では高木健、向山牧騎手)。
「年齢は関係ないですし、やれると思って騎手になったから。これだけ頑張ってきてセレモニーで『頑張れ』とファンに言われ、うれしかったんで。そんな声に応えたいですね」
―きょうはアオラキもレースに出ていてすごい人でしたね。スターホースが来るとラチ沿いもお客さんが多い。井口騎手が目標とすることは。
「結果がちゃんと出せて、見に来てくれた人が一生の思い出になるようなレースができたら、僕も最高です」
■「忌野清志郎の曲を聴いて頑張ってきた」
―好きな食べ物とかは。(音楽については聞く前に答えてくれた)
「ラーメンや焼き肉、王道ですけどね。大学で軽音とかやってきたのは、中学の頃からずっと好きだった忌野清志郎の影響を受けました。レース前、調整ルームでも聴いていますよ。つらい時にも清志郎の曲を聴いて何とか頑張ってきました」
―僕らの世代の歌なんだけど。レース中はファンが応援する声は聞こえますか。
「初日の返し馬の時とか、すごい聞こえていました。直線で『頑張れ』『行けー』みたいな声が聞こえるんで。僕に言っているのか分からないですが。でもレースに集中していると聞こえないですね」
―2着2回でしたが、応援した人もいたのでは。
「どうですかね。1頭は人気薄だったんで、ファンの期待には応えていないかもしれませんが、注目してもらえればありがたいです」

笠松競馬騎手一覧に加わった井口騎手(上段左端)
■「たくさんの人が待っていて、応援が力になるなあと」
―ファンへのメッセージをお願いします。
「セレモニーの時に思ったのが、あんな土砂降りの中、最前列で待っていてくれていたり、たくさんの人に応援されてやっぱりうれしかったですし、それに応えたいです。応援が力になるなあと心から思い、こみ上げてきたのもあった。のんびり、精いっぱいやります」
―2着2回で初勝利も近いイメージになる。生活のリズムは。
「2着は普段、攻め馬をしている自厩舎の2頭でした。朝、手伝いを含めると多い日は28頭ぐらい乗り、平均20頭ちょっと。寝るのは午後8、9時頃と遅いが、夜中の12時15~30分には競馬場に来ています。調教から帰ってきて、体重が重かったら走りに行ったり半身浴したり。(レースがない日は)お昼に仮眠を取ってから厩舎作業を手伝い、風呂に入って調整する感じで、トータル5、6時間は寝ています。取りあえず30勝したいですね。3キロ減がないと、そこまで体重自体はきつくないんですよ」
「3キロ減のおかげで2着に持ってこられたが、勝ちには貪欲ですよ。心の中では『やってやる』という気持ちがあるので。騎手になるまで悔しいことも多かったが、それでもやってきたので」
■「心は折れたけど、やり続けてきた」
―そういう人生はみんなが素晴らしいと思うから。初勝利には1カ月ぐらかかるし焦らずに。
「結果が出ないとみんなやめちゃうが、ここまで来たら諦めきれなくなった。つらかったですよ、ニュージーランドでは『ジョッキーに向いてない、やめた方がいい』と言われて。心は折れたけど、やり続けてきたという感じです。根性といっていいか分からないけど、俺は俺で頑張るからという感じですね」
―ご本人が一番でしょうが、みんな初勝利を楽しみにしている。
「毎回狙っていますよ。どんなレースでも。勝つにはこの乗り方しかないと、自分で思ったことをやっているんで、やり切っていますよどんな馬でも。でも食べるのが好きだから減量は大変ですよ。騎手はみんなレース前にサウナに入って「汗取り」をして水分を抜くんですが、その幅が大きいと脚がつりやすくなるんで、なるべく幅を少なくしたいんで節制しています。レースで腕や脚がつったら思うように乗れないので。食べたくておなかがすいてもハングリー精神で頑張りたい」
何度も「心が折れた」と語っていたが、憧れたアンカツさん、オグリキャップが育った聖地でデビューを果たした。インタビューの最後には、こちらのリクエストに応えて、勝負服姿できりっとした笑顔を見せてくれた。闘志をみなぎらせる井口騎手に「初勝利を楽しみにしています。頑張って」と応援するファンを代表して思いをを伝えた。

笠松競馬場内で実習に励む小林樹騎手候補生(笠松競馬提供)
■来春デビュー目指す小林樹騎手候補生の姿も
装鞍所エリアでは「こんにちはー」とあいさつしてきた小林樹騎手候補生の姿もあった。「初めまして、よろしくお願いします」と明るく研修作業に励んでいた。「いつき君かあ。いい名前だね。『オグリの里』で新人を紹介しているから」と声を掛けると「じゃあぜひぜひ、デビューした時にお願いします」と声を弾ませていた。
7月から12月まで笠松で特訓。朝の攻め馬で騎乗技術を学んだり、レース後は各ジョッキーの馬具を磨いたりしながら、来春の騎手デビューを目指している。馬場改修中は名古屋競馬場でも研修に励んだ。井口騎手と同じ後藤佑耶厩舎でお世話になっており、まずは研修に励んで地方競馬騎手免許を取得したい。
■暑熱対策、かつては「サマータイム薄暮レース」開催
改修後のお盆開催。最終日の岐阜地方は最高気温36.5度と猛暑が直撃。レースは午前11時前から午後4時半ごろまでと最も暑い時間帯に集中した。最終レース後には熱中症のような症状を懸念するジョッキーもいた。夜中から30頭近く攻め馬を行い、昼前から炎天下でのレースが続き、肉体的にも過酷な状況となっている。
かつてオグリキャップが走っていた頃に、夏場には1R発走が午後1時30分、最終10Rが6時台という「サマータイム薄暮レース」も開催もされていた。暑熱対策としてはJRAのように2部制は難しいだろうが、人馬の健康を守るためにも薄暮レースなら可能。夕涼みの電撃戦、ディナータイムで馬券販売にも効果がありそうだ。
☆ファンの声を募集
競馬コラム「オグリの里」への感想や要望などをお寄せください。 騎手や競走馬への応援の声などもお願いします。コラムで紹介していきます。
(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
☆最新刊「オグリの里4挑戦編」も好評発売中
「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」に続く第4弾「挑戦編」では、笠松の人馬の全国、中央、海外への挑戦を追った。巻頭で「シンデレラグレイ賞でウマ娘ファン感激」、続いて「地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった」を特集。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、196ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。笠松競馬場内・丸金食堂、ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも。