笠松競馬永続の守り神・オグリキャップ像。ファンのパワースポットにもなっている

 「アンカツが古巣の笠松に勇気をくれた」。2004年秋、経営不振から県に「速やかに廃止すべき」と迫られ、激震が走った笠松競馬場で、全日本サラブレッドカップ(GⅢ、1着賞金3000万円)が開催された。笠松ではラストイヤーとなった地方・中央交流のダートグレード競走。中央移籍2年目、キングカメハメハで日本ダービーを制覇した安藤勝己騎手と、オグリキャップのラストランVを飾った武豊騎手も参戦した。

 ■全日本サラブレッドカップ圧勝、アンカツコール

 共にオグリキャップの背中を知り、負け知らずだった。聖地・笠松でも実現した「アンカツ・ユタカ対決」。ドリームレースとして注目を集め、アンカツさん騎乗の2番人気ディバインシルバーが2番手から抜け出して圧勝。地方からは吉田稔(2着)、川原正一(3着)、御神本訓史、安藤光彰、岩田康誠ら名手が参戦。ユタカさん騎乗の1番人気 サイレンスボーイは、笠松存廃問題の余波を受けたかのように8着に沈んだ。

全日本サラブレッドカップをディバインシルバーで制覇した安藤勝己騎手。中央移籍後も古巣・笠松競馬場で素晴らしい騎乗を見せた=2004年11月24日付・岐阜新聞社会面

 場内には笠松競馬永続の守り神であるオグリキャップ像が立ち、ファンを出迎え、存廃の行方にも目を光らせていた。来場者は6170人、馬券販売アップにも大きく貢献した。けがから復帰初戦となったアンカツさんは「勝ててほっとしている。声援ありがとう」と存廃サバイバルレースの渦中にある笠松競馬場に明るいニュースを届けた。ファンから「アンカツコール」が沸き起こり、ダートグレードを勝って笠松競馬存続をアピールした。

 ■壇上に笠松所属ジョッキー勢ぞろい、存続へ一丸

 アンカツさんは、場外の壇上からも「笠松愛」を熱く訴えてくれた。最終レース終了後、競馬場近くの笠松町中央公民館で「笠松競馬を未来につなげる集い」が開かれた。「廃止なんてとんでもない」と笠松競馬の存続を目指すシンポジウム。アンカツさんは全日本サラブレッドカップ制覇の勢いに乗って駆け付け、特別パネラーとして熱い思いを語った。

 この日、ファン有志により立ち上げられ、正式発足した「笠松競馬を守る会」(今井登喜江代表)が主催。会場は立ち見の聴衆も出るほど超満員。司会は応援サイト「笠松競馬を未来へつなごう」管理人の大西貴子さん。オグリキャップの走りに魅せられ、笠松競馬を愛する全国の競馬ライター、ファン有志らが次々と存続支援を呼び掛けた。

安藤勝己騎手らも出席。「笠松競馬を未来につなげる集い」で存続への協力を訴えた=2004年11月24日付・岐阜新聞県内版

 壇上ではまず、レースを終えたばかりの笠松所属ジョッキーが勢ぞろい。存続に向けて一丸となった姿をアピールした。「一部の騎手や調教師には『廃止になって補償金をもらった方がいい』という立場の人もいて、存続に向けて足並みがそろっていない」とも聞いていたが「ジョッキーたちも競馬が大好きで生き残りに必死なんだ」と心強く感じた。

 ■「ずっと乗ってきた競馬場、廃止なんて考えられない」

 第1部の「ファンとマスコミによるシンポジウム」。アンカツさんは「16歳から26年間ずっと乗ってきた競馬場で、廃止なんて考えられません。JRAに行けるようになった今の自分があるのは笠松のおかげ。ファンの皆さん、存続のために後押しを」と力強く存続を訴えた。

 岩手の怪物トウケイニセイの生産者・田中哲実さんもパネラーとして出席。梅林敏彦さん(競馬ライター)、佐々木勲さん(笠松けいばサポーターズ倶楽部メンバー)、斎藤修さん(「ハロン」編集長)らもそれぞれ笠松競馬の魅力や重要性について語った。全国から駆け付けた有志たちは「存廃問題を機に笠松競馬は生まれ変わるべき」と力を込めた。

JRA移籍後も笠松競馬場のレースのほか、トークショーにも参加し盛り上げた安藤勝己騎手

 第2部は「笠松競馬で働く人たちの声を聞こう」で、現場の人たちが登壇。調教師・厩務員をはじめ、獣医師、場立ち予想屋、場内飲食店主、馬主らが笠松競馬の存在意義を必死に訴え、シンポは大成功だった。

 田中さんは後日、自らの生産者便りで「熱心な一般ファンがこの集会を支え、盛り上げる原動力になった。純粋に笠松競馬を愛する人々が手弁当で作り上げた集会であることに驚かされ、心打たれるものがあった」と述べていた。

 ■「あの時が一番苦しかった」笠松競馬史上最大のピンチ

 知事交代のタイミングに「負の遺産」となる前につぶされそうになった笠松競馬。経営難の各地方競馬では「存廃サバイバルレース」に突入。3年余りで新潟、宇都宮、益田など6場が廃止に追い込まれていた。笠松競馬も厳しさを増していたが、当時の経営状況はどうだったのか。

 馬券販売は1980年度の445億円がピーク。バブル経済崩壊後の2003年度には174億円まで大幅ダウン。1998年に開設された場外発売所「シアター恵那」の地方債償還金が毎年約2億7000万円の負担。笠松本場の敷地約29万8000平方メートル(厩舎を含む)のうち98%が借地で占められ、その借地料は2004年度が約1億7000万円。この二つが大きな負担となって経営を圧迫した。笠松競馬の特殊事情もあって、1993年度から単年度赤字が続き、58億円あった基金を取り崩してしのいできたが、2005年には底をつく見通しとなった。
 
 「あの時が一番苦しかった」と厩舎関係者。笠松競馬史上最大のピンチを迎え、騎手、調教師、厩務員らは「仕事を奪われる。競馬ができなくなるかもしれない」という瀬戸際まで追い詰められていた。当時、笠松競馬に携わる人は地元の笠松町や岐南町を中心に約1100人。厩舎関係者のほか、装蹄師、馬券販売窓口のパート女性、場内の売店、周辺商店街、飼料業者たちにも存廃問題は影響する。家族を含めれば3000人規模の生活が脅かされた。

存廃問題で揺れた笠松競馬をけん引したミツアキタービン。東川公則騎手騎乗でフェブラリーS4着など中央のレースでも活躍した

 かつては244憶円もの収益を県や町に納付し、災害復旧レース(長良川決壊では全額)でも県民の生活に貢献してきた。まだ赤字でもないのに県サイドの廃止論がなぜか高まった。存廃問題が浮上したこの年、ミツアキタービン(田口輝彦厩舎)は東川公則騎手とのコンビで中央のフェブラリーS4着、船橋のダイオライト記念、地元のオグリキャップ記念を制覇するなど「希望の星」として笠松競馬をけん引していた。

 ■「廃止」の確定ランプが点灯する前に

 検討委の最終報告まであと10日に迫っていた。ここで「廃止」の結論が出されたら、間違いなく確定ランプが点灯してしまう。地元紙の記者として自分にできることは、県民の皆さんにまず笠松競馬を巡る存廃問題の動きを知っていただくことだった。「競馬はギャンブルだから」という目で見られるが、収益で県民の生活を潤した時代もあれば、「赤字には税金は投入できない」という県の方針もあったからだ。

 公益法人化やライブドアの動きなどは記者発表を受けて、新聞紙上をにぎわせていたが、何かインパクトがある独自の記事を書きたかった。オグリキャップの聖地が消えるかもしれない「待ったなし」の状況となり、岐阜新聞の社会面で「笠松競馬存廃の行方」の連載を3回続きで出稿した。最終回の11月23日はアンカツさんが笠松でビッグレースを勝ち、未来につなげる集いに登壇した日でもあった。

 その際、記事について「うちも検討委のメンバーに入っていて、存続・廃止には中立の立場で」と編集局長から注文があった。県サイドには、有識者の意見を聞くとしてマスコミも抱き込んで、存続を求める声を封じ込めようとする狙いがあったのでは。地元2紙は中立の立場として「言論の自由」を貫けず、報道しづらい面もあった。行政が恐れているのはマスコミの論調、マイナスイメージの記事であった。

「笠松競馬存廃の行方」(上)の連載記事=2004年11月21日付・岐阜新聞社会面

 ■ファンファーレの音色かすれ、止まりそう

 連載記事は「オグリの里1聖地編」の中で「笠松競馬は永久に不滅です」と題して全文紹介し、解説も加えている。最初に「レース開始を告げるファンファーレの音色もどこか哀愁を帯びて聞こえる」と表現した。当時の笠松競馬のファンファーレは、すり減ったレコード盤のように音はかすれて今にも止まりそうで、ハラハラさせられた。ファンがあきれる中、なかなか改善されない音色は、つぶれそうな競馬場の「末期的症状」を象徴していた。現在のようにネット上のライブ映像が普及していない時代で良かった。

 連載(上)では、知事が県議会で「刀折れ矢尽きた」と語ったことから「万策尽きた経営努力 地方競馬の雄、コスト削減も『自力』に限界」と、存続派には厳しい見出しが付けられた。記事を読んだ存続、廃止派の両者から報道部長に電話があり、さまざまな意見が寄せられた。心を痛めた愛馬会の後藤さんからは直接電話を受けた。「改正競馬法で公益法人化、民間参入の動きがあるから」と存続への期待を熱く語られた。

 ■廃止への流れ食い止め、存続につなげられた

 連載(中)では「民間参入に再建期待 ライブドア社長、黒字転換に自信示す」、(下)では「存続へ『変革』の好機 公益法人化、特区構想…アイデア次々」と存続派を後押しする見出しになった。
 
 中立の立場から、はっきりと存続を呼び掛けられなかったが、地元紙がこのまま「スルー」していたら、廃止の流れは加速してしまう。国民的スターホースであるオグリキャップの人気と笠松のブランド力をよく理解していない県サイドの横暴さを見過ごすことはできなかった。権力に対してはっきり物を言う姿勢が大切だとも痛感した。 

 連載の最後は「笠松競馬の存廃の行方は地方競馬、中央競馬、馬産地の将来も背負っている」と締めくくった。笠松競馬を取り巻く厳しい状況を読者に伝え、廃止への流れを食い止め、存続につなげることができたと確信している。

「笠松競馬存廃の行方」(中)の連載記事=2004年11月22日付・岐阜新聞社会面

「笠松競馬存廃の行方」(下)の連載記事=2004年11月23日付・岐阜新聞社会面

 ■新刊「オグリの里4挑戦編」11、13、14日に笠松競馬場内で出版記念会

 「オグリの里第4巻・挑戦編」の出版記念会を8月11、13、14日に笠松競馬場内東門近くで開く。「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」に続く「4挑戦編」では、笠松の人馬の全国、中央、海外への挑戦を追った。巻頭で「シンデレラグレイ賞でウマ娘ファン感激」、続いて「地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった」を特集した。出版記念会では「ウマ娘シンデレラグレイに登場する推しキャラは〇〇だ」の人気投票も実施する。

8月11日に発売される新刊「オグリの里第4巻・挑戦編」

 林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、196ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、笠松競馬場内・丸金食堂、ネットショップのホース・ファクトリー、酒の浪漫亭、岐阜市内・近郊の書店でも順次販売される。問い合わせは岐阜新聞社読者局出版室、電話058(264)1620=月~金(祝日除く)9~17時。