太平洋戦争末期、「東洋一の兵器工場」と呼ばれた「豊川海軍工廠」(愛知県豊川市)で10代の工員を中心に2500人以上が亡くなった米軍の空襲から7日で80年となり、市内で平和祈念式典が開かれた。竹本幸夫市長は冒頭「悲しい出来事の記憶が風化しないよう、平和の大切さを語り継がなければならない」と訴えた。

 若い世代へ継承しようと、市は小中高生らを招待し1250人が参列。献花台で手を合わせ、犠牲者を悼んだ。高校2年、富田圭亮さん(16)は「自分と同じぐらいの人が大勢亡くなったことを忘れてはいけないと実感した」と話した。