亡くなった人の夢をくりかえしくりかえし見ている。
夢の道順はいつも同じだ。その人から電話がかかってきて、おお久しぶりやな、そろそろ飲みにでもいかんか、と言われ、友達を誘ってその人の職場を訪れる。現実では無くなって久しいその職場は夢の中で全く違うものになっていて、あれ?と思いながらも階段を上っていくと、その人はいる。じゃあ、飲みに行きましょうよ、そう声をかけるけれどその人は嬉(うれ)しそうに笑うばかりで何も返事がない。
また、あれ? と思う。あの、本当にそこにいますか? そう思ってその人の体に触れようとすると、その人の体は透き通って触りようがない。実体のないその人はふわふわと笑って揺れるばかりだ。どうしたんですか、おかしいですよ、早く飲みに行きましょうよ、聞いて欲しい話たくさんあるんですよ、そこまで言って気がつく。ああ、もうあなた亡くなったんでしたっけ。

現実の死別と、存在の死別は違う。通夜も告別式も偲(しの)ぶ会も参加したのに、その慌ただしさに紛らわされて、きっとその人は今いないだけでどこかにいるような、そんな錯覚に陥っていた。今だって本当に亡くなったとは思えない。きっとどこかで生きている。どこに? 私の心の中になんて、綺麗(きれい)なことは言いたくない。その悲しみだってどんどん風化して、いつか微笑(ほほえ)ましく懐かしい思い出話になるだろう。
何度も何度も夢をみて、勝手にあなたを存在させようとすること。夢の中では、現実では触ったことのない体にも触ろうとすること。その思考回路がずいぶん身勝手で、目を覚ますたび自分の願望がつくづく愚かで、恥ずかしくて、愛(いと)おしい。そうやって夢の中で何度も亡くさなければ、私はやっぱりその人を亡くせないんだろう。
世界三大美人としても有名な歌人、小野小町は何度も夢の歌を残しているそうだ。夢でいいから会いたい、そして、あなたと夢でようやく会えた、と。夢という得体(えたい)も知らないものにまですがろうとする、彼女の最後の願い。その気持ちが少し分かった気がする。夢でもいい、幻でもいい。あなたの影が私のものになりますように。そんな思いを抱えながら、目を覚まし、そしてまた夢をみる。
岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。
のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。