田所孝二監督インタビュー7回目は、福知山成美で甲子園で春夏ベスト8に躍進した時の逸話や、同校で校長を務めながら監督として指揮をとった後に、辞めて岐阜第一監督に就任する経緯などについて聞いた。(岐阜新聞デジタル独自記事です)

2016年夏の岐阜大会初陣の帝京大可児戦で指揮を執る岐阜第一田所孝二監督=プリニーの野球場

 ―福知山成美では甲子園に春夏計6回出場し、ベスト8が春夏1回ずつですね。

 田所 夏は2006年にベスト8までいって、鹿児島商工(現樟南)に延長十回、2―3で負けた。その後の兵庫国体(現国スポ)準々決勝で夏優勝の斎藤佑樹(元日本ハム)の早稲田実(東京)に0―1で負けたけど、ヒットは3倍くらい打っていて、圧倒的にうちが押していた。

 キャプテンは鍛治舎巧さんのところのオール枚方の塚下雄介だったが、この試合で斎藤佑樹にピッチャーライナー当てて、負傷退場させている。そうしたら塚下、ガッツポーズしてた。みんな非難ごうごう。5分くらい手当てして斎藤が戻ってきて、マウンドでハンカチ使って、次のバッターを三振に取った。

 田所孝二(たどころ・こうじ) 1960年、福岡県小郡市生まれ。幼少期に兵庫県伊丹市に引っ越し、甲子園に近く、野球の熱量の高い土壌で野球を始め、小学5年の阪神優勝大会で甲子園の土を踏む。主に遊撃手で、中学で京都府福知山市に引っ越し、福知山高校、関大を経て社会人野球の日本新薬(京都)で活躍。33歳で退社し、1993年から2年間、青年海外協力隊として南米のグアテマラで過ごし、ラテン野球に接する。帰国後、96年に福知山商(現福知山成美)の教員となり、8月から監督。3年目の99年夏に初出場させてから春夏6度、甲子園に出場し、ベスト8が春夏各1度。島本浩也(阪神)、桑原将志(DeNA)ら多くのプロ野球選手を育てる。2014年から同校校長。16年4月、岐阜第一の監督に就任。春、秋の県大会で優勝各1回。甲子園出場はないが、ほぼ毎大会ベスト4以上の強豪に育てる。

 向こうはホームスチールで1点取って、うちが負けた。いい試合で高野連も大喜び。「田所、お前さすがや、空気読めてる。みんな駒大苫小牧(北海道)との決勝再現みたいんだから、お前んとこ勝ったらあかんやろ」なんていわれた(笑)。結局、早実と駒大苫小牧の決勝になって、斉藤と田中将大(現巨人)の投げ合いで1―0、甲子園に続いて早実が勝った。

 この時、うちの息子も成美にいて、後に立命館大で3番打つんだけど、センターに大飛球を打ったら、相手が大ファインプレー。フリーアナウンサーの宮根誠司さんが、番組でレポートしてて「早稲田実業やっぱり、もってるわ。でも、福地山成美やりにくかったやろな、勝ったらどうなるんやろ」って言ってた。みんな同じこと考えてた。

 でも、その時のチームは、あまり強くなかった...