静かな、しかし迫力満点の作業だった。職人が太いヒノキの幹に縄1本でするすると登り、樹皮に木のヘラを差し込んで剝がし、3メートルの長さに切って落としてゆく。1周むき終わるとまた登る。最後は地上10メートルほどの高さにまで到達した。彼らは原皮師(もとかわし)と呼ばれる、社寺仏閣の屋根に用いる檜皮(ひわだ)を採取する職人だ。
「できれば樹齢100年以上のヒノキが良いんです。太いものになるとむくのに時間がかかるので、朝登って夕方まで降りてこないこともあります。そんな時は食事も仮眠も用を足すのも、縄に体を預けて上で済ませるんですよ」。こう解説するのは岐阜市の田中社寺株式会社で文化財屋根工事部長を務める須賀均さん(77)。原皮師の第一人者だ。同社には全国の工務店で最も多い5人の現役原皮師がいて、7月の梅雨明けから4月末ごろまでほぼ年間を通じて各地のヒノキ林を巡り、檜皮を採取している。檜皮は岐阜市の倉庫でしばらく乾かした後に長さ75センチ、幅15センチ(社寺によって仕様は異なる)に揃(そろ)えられ、束にして再び全国の文化財修理現場へ届けられる。飛鳥時代から続く伝統技術であり、2020年には「伝統建築工匠の技」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録された。
須賀さんは全国組織の指導者として1999年から原皮師の養成研修に携わり、これまで100人近い修了生を育ててきた。また、民間所有者の林だけでなく、林野庁と協定を結んで国有林内での檜皮の採取も行っている。技術を次世代に伝える仕組みは整えてきたが、なおも心配はある。一つはやはり人材だ。最近は原皮師の仕事自体を知らない若者が多く、門を叩(たた)く人の数が減った。また激務のため定着率も低い。もう一つは林だ。檜皮は10年経(た)つと再生し、繰り返し採取することができるのだが、10年前にむいた民間所有のヒノキ林を再び訪ねると伐(き)られてしまっていることも少なくないという。
今回の作業は、山県市の東光寺が所有するヒノキ林で行われた。東光寺は檜皮葺(ぶき)の立派な本堂を持つ美しい寺だ。1688年建立の記録が残る市指定の文化財だが、須賀さんによれば県指定以上の価値がある建物だそうだ。こうした文化財や伝統技術に関心を持ってほしいと、須賀さんは各地で原皮師の作業見学会を無償で開いている。東光寺の側でもヒノキ林を文化庁の「ふるさと文化財の森」に設定し、林を守るとともに継続的に見学会などを開きたいと考えている。
こうした職人や関係者の努力によって、檜皮葺の技術は千年を超えて受け継がれてきた。これから50年後、100年後にも原皮師たちが活躍できるよう、努力を続けていきたい。
(久津輪雅 技の環代表理事、森林文化アカデミー教授)
【ふるさと文化財の森】 木材、檜皮、茅(かや)、漆など、文化財建造物の保存に欠かせない資材を供給する森を文化庁が「ふるさと文化財の森」として設定し、資材の確保とともに研修や普及活動などを行うもので、全国で95カ所が設定されている。岐阜県内の設定地はまだ1カ所に過ぎない。候補地の情報は県文化伝承課まで。