除幕式で雄姿がお披露目された「ラブミーチャン記念碑」の銅像
「栗毛のシンデレラ」ラブミーチャンが銅像になった。
笠松町役場で11月5日、除幕式が盛大に行われ、昨年8月31日に天国へ旅立った名牝の偉業を関係者やファンらがたたえた。オーナーのDr.コパこと小林祥晃さん(78)=東京都=が「ラブミーチャンの功績を永遠に記憶し、笠松町の更なる発展を祈念するため」と銅像を寄贈した。
■馬券販売どん底の時代に「快速娘」として笠松の名をアピール
ラブミーチャンは2歳時、JRAでは「つぼみ」のまま開花せずレースに出られなかったが、地方・笠松ではクリスマスシーズンに「満開」となって全国制覇を果たした。馬券の販売額が落ち込み、経営難だった笠松競馬の存続を支える「生命線」にもなって孤軍奮闘。全国の重賞戦線で笠松の「快速娘」「看板娘」として笠松の名をアピールし、存続を力強くけん引した。その雄姿は銅像となって、笠松競馬を救ったシンデレラストーリーとして、訪れる子どもたちにも末永く後世に語り継がれていく。
全日本2歳優駿で優勝したラブミーチャンと喜びの関係者
■JRAでは未出走で挫折を味わったが、笠松の「再生工場」で生まれ変わった
先輩のオグリキャップは笠松から中央へ移籍し、有馬記念制覇で天下取りを果たしたが、ラブミーチャンはその逆バージョンともいえる奮闘ぶりを見せた。JRAでは未出走で挫折を味わったが、笠松の「再生工場」で生まれ変わって、全日本2歳王者の栄冠を奪取した。
2009年夏、柳江仁厩舎に移籍。馬体を鍛え上げて攻め馬を積み重ねると、スピード豊かな快速馬に大変身。浜口楠彦騎手の好騎乗でデビューから2連勝後、中央500万下(現1勝クラス)に挑みレコード勝ち。兵庫ジュニアグランプリ(JpnⅡ)に続く川崎・全日本2歳優駿(JpnⅠ)も制覇。NARグランプリの年度代表馬に輝いた(09年、12年の2回)。東京盃などを含め中央馬とのダートグレード競走を計5勝。超短距離のスーパースプリントシリーズでは3連覇を飾り、地方競馬の最速女王に君臨した。
■コパさん感激「全日本2歳優駿も勝ってくれた」
笠松町役場では立派に完成した銅像を前に、コパさんが愛馬への思いを熱く語った。
ラブミーチャンの銅像を寄贈。愛馬の活躍をたたえ「笠松競馬、笠松の町が一体となって発展していただければ」と語るDr.コパさん
「2歳で中央競馬入りし、コパノハニーといいました。ところが調教師に『この馬、走らないよ』と言われて、方位と年月日を見て栗東から笠松へ移りました。馬名を『自分自身を愛してくれる名前に』とラブミーチャンと変えました。(亡くなられた)柳江調教師と浜口騎手の2人が本当に頑張ってくれて、笠松でのデビュー戦と2戦目を勝ちました。3戦目には、ばかにされた中央競馬に思い切って挑戦。京都の1勝クラスをハマちゃんで見事に逃げ切って『ざまあ見ろ』と思いました。『お前たち、走らないと言ったじゃないか』と。とてつもない速さで勝ち、この前まで京都・1200メートル(2歳)のレコードタイムでした」
2歳の冬、ラブミーチャンは地方競馬最高峰のレースで勝利を飾った。コパさん、愛馬の大活躍を思い起こされて感極まったご様子。
「園田の兵庫ジュニアグランプリを勝ち、全日本2歳優駿も勝ってくれて『びっくりしました。こんな馬がいるんだ』と。その後も中央馬をやっつけて、東日本大震災の2年後、最後に盛岡のクラスターカップを勝ってくれた。彼女のおかげで競馬を知っていただいた方もたくさんいた。今後もラブミーチャンと笠松競馬、笠松の町が一体となって発展していただければ。この中(記念碑)には彼女の遺髪や遺骨と蹄鉄があります」
遺骨と蹄鉄などと共にラブミーチャンの功績をたたえた記念碑
全日本2歳優駿制覇の感激がよみがえり涙を流されながら、尽力されたラブミーチャンの関係者やファン、町民らに感謝の言葉を述べられた。
JRA所属ではデビュー戦を迎えられず、悔しい思いをされたが、ラブミーチャンは笠松所属となって、水がおいしい木曽川河畔の豊かな自然環境と柳江調教師ら厩舎スタッフに恵まれ、「雑草魂」でどんどん強くなり、中央のエリート馬たちを思い切り見返したのだった。
■古田町長「笠松町と笠松競馬を盛り上げていきたい」
この日は笠松競馬のレース開催日でもあり、競馬場関係者やファンらも多く駆け付け、除幕式は1R開始前に開かれた。
古田町長は「Dr.コパさん、立派な馬の銅像を寄贈していただき、厚く感謝いたします。笠松町は、笠松競馬と共に馬の町です。これまで馬のシンボルがなかったが、コパさんの愛馬の銅像には大きな意味があります。一つはラブミーチャンは笠松競馬から全国で活躍したことで、今の地方創生に合っていること。もう一つは、ラブミーチャンは牝馬で、女性活躍の象徴としても意味があります。これからも笠松町や笠松競馬を全国に発信して更に盛り上げていきたい。笠松町を岐阜県の新しい玄関先として発展させていきます」とラブミーチャン像と共に新たな一歩を踏み出す決意を伝えた。
古田町長からは記念品としてラブミーチャンのイラストがDr.コパさんに贈られた
古田町長からはコパさんをたたえる感謝状と記念品(ラブミーチャンのイラスト)が贈呈された。
■「笠松にはこんな強い馬もいるんだ」と頑張っている姿
来賓からも「ラブミーチャンは笠松競馬の経営が厳しい時代に登場し、競馬場が頑張っていることをその走りの中で示し、競馬場の存続にしっかり力を尽くしてくれた。その歴史を後世に伝えるためにも銅像の建立は大変意味があり、地域振興にもつながります」などと祝辞が述べられた。
笠松競馬が廃止寸前となった2004年度の馬券販売は約128億円だったが、12年度には約107億円にまで落ち込んみ、どん底の時代だった。それでも当時、ラブミーチャンが「快速娘」として先頭に立って全国の競馬場を転戦し「笠松にはこんな強い馬もいるんだ」と頑張っている姿を見せることで存続をアピールした。
これに勇気づけられた現場のホースマンたちが賞金・手当の大幅カットにも我慢強く耐え続けたからこそ、その後のV字回復につなげることができた。「赤字化=即廃止」の綱渡りを続けていた笠松競馬の存続は、ラブミーチャンが全国で活躍してくれたおかげでもあった。
1999年にデビューしたレジェンドハンターに続く笠松競馬「10年周期の超大物」だったラブミーチャン。微力ではあったが、彼女の活躍する姿を岐阜新聞で(ぎふチャンでも)レースごとにアピールさせてもらった。個人的にも非常に思い入れが強い「超特急のスーパーヒロイン」だった。
Dr.コパさんと古田聖人笠松町長の手で除幕されたラブミーチャンの銅像
■コパさんと古田町長の手で除幕、力強く走りだす雄姿お披露目
銅像は「ラブミーチャン記念碑」として役場左端に新設された。「馬の休憩所」としても活用されていた場所で、笠松競馬場で人気を集めた誘導馬のウイニーも立ち寄って、体を休めていたことがあった。
除幕式典では「3、2、1」のカウントダウンと共に、完成した「ラブミーチャン記念碑」がコパさんと古田町長の手でゆっくりと除幕され、「笠松の快速娘」がしなやかに走りだす雄姿がお披露目された。臨席した関係者や見守るファンらから大きな拍手が鳴り響き、記念撮影が華やかに行われた。
■瀬戸さん「銅像の公共設置は彫刻家として大変名誉」
銅像を手掛けた彫刻家の瀬戸優さん=東京都=からは、制作の際に描いたスケッチがコパさんに贈られた。
銅像を制作した彫刻家の瀬戸優さんからは、ラブミーチャンを描いたスケッチがDr.コパさんに贈られた
瀬戸さんは「銅像の公共設置は彫刻家として大変名誉な目標だったことで、一つ夢がかないました。この約1年ぐらいラブミーチャンの銅像の制作を進めてきて、本当に愛する気持ちをたくさん込めさせいただきました。原型が粘土を焼いたものなので全て指で触って造形していき、何度も何度もなぜてラブミーチャンの愛情をたっぷり注いだものとなっています。銅像は百年、千年とずっと残り続ける丈夫で不思議なものです。ラブミーチャンという馬がいたということを証明し続けるものとして残していただけたらなと。私も新しく『ラブミーチャンの父』だという思いでいます」と作品への愛着を述べられた。
ラブミーチャン像の前で愛馬会メンバーも加わって記念撮影
■2分の1スケール「コパさんのところに駆けていくイメージ」
現役時代は510キロ前後とムキムキで雄大な馬体だったラブミーチャン。銅像は実物大の2分の1スケールで体高1.2メートル、体長1.05メートル。高さ1.3メートルの台座の上に設置された。
制作の苦労について瀬戸さんは「銅像は溶接して初めて自立するもので、2本脚で立つところを想像しながら、走りだしそうなポーズをかなえるのが難しかったですね」。思い描いたシーンは「ラブミーチャンが名前を呼ばれて、コパさんのところに駆けていくようなイメージです」と重厚で躍動感あふれる作品に仕上げた。
「馬の像は何度か作ってきて普段は野生動物専門ですが、公共の場所に設置することは達成感につながるので、そういった形で彫刻を通して社会貢献ができたということは、すごくうれしく誇らしいことだと感じています。今回の制作を機にすごく大事な町になりましたので、また銅像を見に来たいです」
瀬戸さん、若手彫刻家としてエネルギッシュな力作を完成させた。銅像を見上げたコパさんは「お尻が特にラブミーチャン」とグラマーさにも満足そう。パドックでは栗毛のピカピカした馬体で人気を集め、愛きょうたっぷりにファンをチラ見していた姿が懐かしい。
■柳江さん「全国を回ったこと、走馬灯のように思い出された」
除幕式が行われ、ラブミーチャン記念碑を見守る関係者。笠松競馬存続に貢献した快速ぶりは後世に語り継がれていく
笠松競馬存続に尽くしてきた愛馬会のメンバーでもある柳江さつきさん。ラブミーチャンの調教師だった夫の仁さんと共に愛情を注いで育て上げてきた。
愛馬の銅像が除幕されると「今までのこと、苦労したことが走馬灯のように思い出されました。コパ先生たちと全国を回ったんでね」と感慨深そう。現役時代にはラブミーチャン公式ブログもアップされ、歴戦の日々をミーチャン自身がつぶやく形式で伝えていた(今でも閲覧可能)。
2度もNARの年度代表馬に選ばれ、日本の競馬史上、地方競馬では一番強い牝馬だった。「思い出のレースは全部だけど、やっぱり全日本2歳優駿とかですね。レースには毎回ずっと一緒に行っていたから。これまで笠松の町になかった銅像まで作ってもらって」と愛馬を誇らしく感じていらっしゃった。
■あんなに強くなったのは「やっぱり主人の力では」
「(コパさんには)ラブミーチャンに対する強い思い入れがあって、JRAでは駄目だと言われたのを、地方で活躍させたのが大きいですね」。あんなに強くなったのは「そこはやっぱり主人の力じゃないですかね。餌の配分とか自分できちんとやらないと気が済まない性格でしたから。ガラケーの時代で、(愛馬の近況について)コパ先生に対してメールはすごい長文で送るし、電話も長かった。何事も真剣で中途半端はないから、競馬場に行くのも午前2時頃で一番早かったし」と当時の思い出を語られた。
浜口楠彦騎手の騎乗で、2009年の全日本2歳優駿を制覇したラブミーチャン。2年前の「ラブミーチャンのふるさとを訪ねて展」でパネルが展示された
確かにラブミーチャンのレースの前後、柳江先生に電話をかけると、ちょうどひと仕事を終えられた風呂上がりだったりして、1時間ぐらいは長話をさせていただいた。引退前には金沢でのJBCスプリントを目指していたラブミーチャンだったが、笠松での直前の追い切りで疲労骨折が判明。引退が決まって繁殖馬になる時も柳江先生は「ミーチャンの子たちを預からせていただければ、連続ドラマがまた始まる」と育て上げることを楽しみにしていらっしゃった。
■「ラブミーチャンもウマ娘に入れてもらえたら、物語があるから」
ダート馬だったラブミーチャンは芝の桜花賞トライアルで敗れ、中央のクラシック挑戦への夢はかなわなかった。それでも、さつきさんは「ラブミーチャンも『ウマ娘』に入れてもらえるといいよね。でも地方では有名だったけど、中央ではバーンと勝っていないから、全国的にはまだなのかな」とも。
笠松競馬ファンの多くも願っているラブミーチャンのウマ娘入り。中央馬相手でも好成績を残しており、コパさんの開運パワーも借りたいところだ。地方ではハルウララ(高知)が入っているが、ラブミーチャンは果たしてどうなのか。
展示された全日本2歳優駿、東京盃などラブミーチャンの優勝レイ
さつきさんは「活躍もしてくれたし、ラブミーチャンは物語がある馬だよね。今後はそれ(ウマ娘にしていただくこと)を目指していきたいけど、どうだろうね」と新たな展開も期待。ラブミーチャン重賞勝ちの数多くの優勝レイなどはずっと保管されているそうで「笠松町で12月にまた展示会があるので、全部出します」とのことだ。
■地方馬ではハルウララやフリオーソがウマ娘入り
ウマ娘のモデルになった競走馬はJRA所属馬が基本だが、ハルウララのほかフリオーソ(船橋)といった地方所属馬もモデルになっている。ばりばりの地方生え抜き馬ラブミーチャンが、ウマ娘入りするのはハードルがやや高くても、実力的にその資格は十分だろう。
NARの年度代表馬に2度選出されるなど総タイトルは9冠、牝馬では地方競馬最強。柳江仁調教師も殊勲調教師賞を受賞しており、人馬とも堂々たる成績。JRAのレースでも勝っているし、中央馬相手にダートグレードを5勝。オグリキャップと同じく、笠松競馬場で「突然変異」として急成長を遂げた名牝。そのドラマチックなシンデレラストーリーはウマ娘になる条件を満たしているのでは。
銅像建立については愛馬会代表の後藤美千代さんも「感無量ですよ、もう」と満足そう。ラブミーチャンの現役時代は2009年から13年までの4年間。「笠松競馬の経営がすごく苦しい時に先頭に立って盛り上げてくれて、存続に力を尽くしてくれました」と、笠松駅「ふらっと笠松」のスタッフも務められ、感謝の気持ちを語っていらっしゃった。
暗いどん底から星空を照らすような彼女の走りには本当に頭が下がる思いだったし、希望の光でもあった。JRA未出走から駆け上がったスーパースプリンターで、銅像と共に未来へと語り継がれる伝説のスターホースになった。
銅像の完成を記念したラブミーチャン版「蹄鉄クッキー」
■記念の蹄鉄クッキーや名馬の企画展も
銅像の完成を記念したご当地銘菓のラブミーチャン版「蹄鉄クッキー」(220円)が笠松菓子組合5店舗で発売が始まった。また新年企画「干支 午・馬・ウマ展」(12月1日~来年2月1日)が笠松町歴史未来館で開催される。笠松競馬の名馬たちの活躍にスポットを当て、ラブミーチャンなどの貴重な写真や愛用品を展示する。
笠松町役場は、競馬場から堤防道路沿いに南へ約850メートルで、笠松みなと公園や町歴史未来館を含めた聖地巡礼の周回コースとしてもお勧め。いつかラブミーチャンがウマ娘に選ばれる日が来れば、役場に新設された銅像も注目度がさらにアップしそうだ。
2016年、北海道の谷岡牧場で繁殖馬生活を送っていたラブミーチャン。次男のラブミージュニアにぴったりっと寄り添っていた
■オグリキャップと共に、競馬場と笠松町の新たな守り神に
現役引退後は北海道の谷岡牧場で繁殖馬生活を送っていたラブミーチャン。お母さんそっくりだった次男のラブミージュニアにぴったりと寄り添っている姿が印象的だった。昨年の夏の終わりに17歳で亡くなったが、生まれ故郷でもある牧場にはかわいいお墓も設置されている。
笠松競馬場の存続にも大きな力を発揮してくれたラブミーチャン。その銅像はオグリキャップ像と共に、笠松競馬場と笠松町の守り神として目を光らせて、次世代の人馬たちの成長を見守ってくれることだろう。
☆ファンの声を募集
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(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
☆最新刊「オグリの里4挑戦編」も好評発売中

「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」に続く第4弾「挑戦編」では、笠松の人馬の全国、中央、海外への挑戦を追った。巻頭で「シンデレラグレイ賞でウマ娘ファン感激」、続いて「地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった」を特集。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、196ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。笠松競馬場内・丸金食堂、ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも。









