調教師に転身した宮下瞳さんにとって、騎乗馬とゴールを目指した現役25年間は、どんなジョッキーライフだったのか。「私にとって、人生でかけがえのないものでした。一度は辞めて、復帰して名古屋競馬場をはじめ家族、関係者の方々がすごくサポートしてくださったおかげで、素晴らしい思い出に残る騎手人生が送れました。周りの方たちに恵まれて仕事を毎日楽しくさせていただくことができた」と引退レース後の記者会見で晴れやかに振り返った。
「オグリの里」としては、主戦場の名古屋競馬場だけでなく、通算1100レース以上に騎乗し、ちょうど100勝を飾った笠松競馬場の印象も聞いてみた。後半では宮下騎手の笠松での名場面も回顧した。
■思い出の一頭、ポルタディソーニで重賞4勝
印象に残る馬は「復帰した時にポルタディソーニで重賞を勝たせていただき(秋の鞍、梅見月杯など4勝)思い出に残る一頭です。馬主の吉岡泰治さんが花束を渡してくださいました。(竹口勝利厩舎の)兄弟子にあたる宇都英樹先生のところで、(笠松にも所属していた)コパノエミリアが重賞(東海クイーンカップ)を勝てたのもうれしかった。先生と『重賞を勝てたらいいね』という話をずっとしていたので、その夢がかないました」と師弟での最高の栄誉に感慨深いものがあった。
ジョッキー復帰後にコンビを組んだポルタディソーニ。その一番大好きな馬を瞳さんは「ポルちゃん」と呼んでいたが、2021年4月に引退。「馬に乗る楽しさ、厳しさなど教えてもらった。復帰してから重賞勝ちで自分を成長させてくれた馬なので、思い出に残っています」と地方競馬通算1000勝達成後にも感謝の言葉を述べていた。
■「宇都先生みたいな調教師になりたい」
同じ鹿児島県出身で師匠となった宇都英樹調教師(57)に対しては「(通算2181勝の)騎手時代から真面目で一生懸命頑張っていらっしゃる姿をずっと見ていて、それが勉強になっていました。調教師としての先生は常に動いていて一生懸命で。最初は成績がうまく出なくて悩んでいる時期もあったんですけど、頑張っている姿を馬主さんたちが見ていて、(応援もあって)このような活躍ができていると思うので、私も宇都先生みたいな調教師になりたいです」
宇都調教師は2020年4月デビューで重賞13勝。フークピグマリオンでは駿蹄賞、東海優駿、岐阜金賞、秋の鞍の「東海4冠」を制覇する快挙を達成した。笠松では同馬で重賞3勝と相性がいい。
瞳さんへ贈られた花束にそっと手を添えた宇都調教師。コパノエミリアとのコンビでは「装鞍の時『こういうレースを一緒に勝ちたいね』と話していて、いい脚を使ってくれて本当に重賞を勝ってくれてうれしいよね」と喜びを分かち合った。
ジョッキー引退については「女性でこの年まで、これだけの勝ち鞍を挙げるのはすごい。うるさい馬でも嫌がらずに乗るし、仕事ぶりも真面目ですし。たくさん馬に乗せてもらえて、やっぱり人柄だと思うしすごいなと。厩舎を立ち上げた時もお祝いして手伝ってくれたり、知り合いの馬主さんを紹介してもらって助かりました。同じ釜の飯を食った仲で和気あいあいでした」と頑張りをたたえ、サポートに感謝した。
■「6並びの日」にミラクル「夫婦で1着同着」
長年、竹口勝利厩舎に所属していた宮下騎手。2006年6月6日の「6並びの日」には、名古屋2Rでヘイセイチャンスに騎乗し、夫・小山信行騎手騎乗のメイショウタンドルと「夫婦で1着同着」というミラクルな記録を達成した。最後の直線では激しいたたき合いとなり、宮下騎手が3番手から追い付いた。それぞれ単勝130円と230円で馬連は820円という結果。3着馬とはアタマ差だった。宮下騎手は竹口調教師の引退に伴い、昨年12月から宇都英樹厩舎へ所属変更した。
「悔いがないというか、復帰して更に騎手をやっていて良かった」。昨春には模範となる技術や功績を持つ人に贈られる「黄綬褒章」を地方、中央の女性騎手では初めて受章された。「褒章を頂いたり、今年の秋には園遊会に呼んでいただいて天皇陛下にお言葉をいただいたとき、改めて頑張ってきて良かったな、騎手に復帰して良かったと思いました」
■引退レース直後、宇都厩舎の馬が勝ち「アタックポーズ」
引退レース直後の7Rでは、宇都厩舎のウィットビーアビー(今井貴弘騎手)が逃げ切って4連勝。宮下騎手の無事卒業を祝福するかのような勝利に笑顔があふれた。宮下騎手も記念撮影に加わり、グリーンチャンネルの番組でもおなじみの「アタックポーズ」を決めて祝福した
12月1日付で調教師免許が交付され、トレーナーとしての新たな戦いがスタート。「厩舎の整備がまだ整っていなくて、馬を入厩させられるのは12月の終わりぐらい。1月中旬に初出走できればいいなと思っています」と厩舎開業、デビュー戦に向けて準備を進めていくという。当面は夫の信行さんと協力して厩舎の仕事をしながら、「中央の騎手になりたい」という長男の夢もサポートするという。
「厩舎づくりは宇都先生の厩舎を見習い、人が集まるような明るい厩舎をつくって、名古屋競馬場を盛り上げていける強い馬づくりをしていきたい。仕事をしていても楽しくできる職場で、騎手ともフレンドリーで、言うべき時には何でもしっかりと言い合える環境づくりをしていきたい」と意欲を示した。
■「宮下瞳厩舎で主人が厩務員、最初は2人でゆっくりと」
「厩舎名は『宮下瞳厩舎』としてやらせてもらいます。騎手時代に覚えてもらってファンの方々に応援されていますし、その名前でいきたいです」
レースで心掛けていたことは「復帰した時に厩務員を1年半ほど経験し、馬を出走させるのに365日携わる厩務員さんの仕事の大変さを実感。更に感謝の気持ちを込めるように騎乗していました」。開業後は「主人が厩務員で、最初は2人でゆっくりとやっていきたい。厩舎が落ち着いてきたら新しい人を雇用したいです」と徐々に人や馬の数も増やしていく構えだ。
調教師としてのデビュー戦では、どんな馬にどの騎手が騎乗することになるのか、年末年始も夜明けの調教から注目を浴びることになりそうだ。
■笠松では通算100勝、吉岡牧子騎手の最多勝記録350勝にも並んだ
宮下騎手は笠松競馬場でも人気ジョッキーとして、多くのファンを呼び込んでくれた。特に昨年は準レギュラーとして数多くのレースに参戦し、若手騎手に模範を示してくれた。
笠松ではNARの詳しいデータによると、1998年に初騎乗し4着。2002年に初勝利を飾った。先輩の小山信行騎手と結婚した05年。当時の女性騎手最多勝記録を保持していた吉岡牧子騎手(益田)の地方競馬通算350勝に、笠松でのレースで並び(マヨヒメに騎乗)、すぐに祝福のセレモニーも開かれた。当時28歳、名古屋で新記録の351勝目を達成した。
宮下騎手は、笠松ではデビュー以来通算1150レースに出走。こつこつと白星を積み重ねて、何と100勝を挙げる活躍ぶりを見せてくれた。2着125回、3着は139回。04~07年には毎年100レース以上に騎乗。昨年は藤田正治厩舎の主戦ジョッキーといえる頼りになる存在で、年間281レースに騎乗し23勝。宮下騎手の活躍もあって、藤田調教師は前年のリーディング10位から4位に急上昇した。愛馬ポルタディソーニとのコンビでは、笠松グランプリで7着だった(岩手のラブバレットが勝った17年)。
笠松での通算100 勝目は今年1月23日7R、メガフラッシュ(牡6歳、藤田正治厩舎)に騎乗し、後方2番手から豪快な差し切りで決めていた。
■オマタセシマシタで逃げ切り、2勝目に導く
23年10月には笠松所属だったアイドルホースのオマタセシマシタ(牝3歳、笹野博司厩舎)に騎乗し、鮮やかに逃げ切った。宮下騎手は「オマタセちゃんが頑張ってくれました。ゆっくりしたペースで逃げて、2番の馬には絶対に抜かれないように気合を入れました。突き放してくれて良かったです」と楽な手応えでゴールを飾った。「さすがは宮下騎手」といった騎乗ぶりで人気馬を2勝目に導いて、獲得賞金面で移籍条件をクリア。新天地の船橋では森泰斗騎手や笹川翼騎手でも勝ち、現役馬として活躍している。
■笠松競馬場「先行有利で楽しかった、すごくいい印象」
名古屋だけでなく、笠松でも存在感を示した宮下騎手。弥富に移転してコンパクトできれいになった名古屋競馬場に対して、昭和の風情がそのまま色濃く残る笠松競馬場についても話してくださった。
「笠松にもかなり遠征され、昨年は200回以上騎乗された。いっぱい名馬も出ている笠松に対する印象はどうですか」と聞いたところ、瞳さんは「笠松競馬場は、名古屋競馬場とはレース形態が違って先行有利の感じがするのでスタートを決めないと成績につながらなかったりします。レース自体は乗っていてすごく楽しかったですし、いろんな馬をいろんな先生が乗せてくれたので、すごくいい印象があります」とのことで、逃げが得意な宮下騎手には相性が良い競馬場だった。名古屋を上回る勝率を残した年も多くあった。
■東海クラウン逃げ切り、笠松で騎乗機会3連勝も
コロナ禍で無観客レースになる直前の2020年2月、笠松競馬場に宮下騎手の姿があった。最終の東海クラウンをメモリートニックで逃げ切った。笠松での騎乗機会3連勝と波に乗っていた。
装鞍所エリアに戻ってくると、西日を浴びたゴーグル姿が輝いており、華麗で頼もしかった。「かっこいいママさんジョッキー」で、1週前にはポルダディソーニで名古屋重賞・梅見月杯を勝ったばかり。「笠松で3連勝ですね。名古屋の重賞も勝ったし、最近絶好調だね」と声を掛けてみると、「いやー、昨年は笠松であんまり勝ってないですから、頑張ります」と笑顔キラキラ。笠松での印象的なシーンとなった。
その後、コロナ禍で笠松への参戦は制限されたが、この頃の宮下騎手は半端なく「乗れている」状態だった。「かなり勝ちそうだ」との予感は的中。名古屋で勝利を量産し、晴れて年間100勝ラインを突破した。
笠松競馬場でのラストライドとなったのは11月19日の「ラブミーチャン記念」。7番人気ハチハチハローズ(原口次夫厩舎)に騎乗し8着に終わったが、結果的に2歳牝馬重賞で最後の勇姿を見せてくれてファンを喜ばせた。
このレース時点ではまだ引退は発表されていなかったが、熱心な地元ファンは「近く騎手引退」を感づいていた。翌20日には調教師合格の一報が流れた。「名古屋開催を最後に、もう笠松では宮下騎手の騎乗姿は見られないのか」と複雑な思いも交錯した。
■夫婦「強力タッグ」でまずは1勝
宮下調教師となって、まずはトレーナーとしての仕事を学ぼうと船橋競馬場で5日間ほど研修。川島正一調教師から、厩舎の経営から馬の育て上げ方までみっちり学んでいる。名古屋競馬などの元騎手で兄の康一さんが、現在は川島厩舎で厩務員を務めており、いっぱいアドバイスを受けて厩舎の開業に備える。
産休明けから騎手に復帰する前、1年半ほど厩務員の仕事を体験したが「その時と全然違いますね。いっぱい吸収したいです」と意欲。同期の倉兼育康調教師がいる高知競馬場でも研修を受ける。
ジョッキーを卒業し宮下瞳厩舎の師匠として、今後どんな活躍馬を育てていくのか。信行さんとの「強力タッグ」でまずは名古屋での1勝が大きな目標となる。=次回につづく
☆ファンの声を募集
競馬コラム「オグリの里」への感想や要望などをお寄せください。 騎手や競走馬への応援の声などもお願いします。コラムで紹介していきます。
(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
☆最新刊「オグリの里4挑戦編」も好評発売中

「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」に続く第4弾「挑戦編」では、笠松の人馬の全国、中央、海外への挑戦を追った。巻頭で「シンデレラグレイ賞でウマ娘ファン感激」、続いて「地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった」を特集。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、196ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。笠松競馬場内・丸金食堂、ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも。









