引退後の2007年、北海道の優駿スタリオンステーションでのんびりと暮らすオグリキャップ

 オグリキャップが現役を引退して35年、天国に旅立って16年…。1985年3月27日生まれで、ラストラン有馬記念Ⅴで沸き起こったオグリコールはファンの胸に熱く刻み込まれたまま。不滅の「芦毛の怪物」は生死を超越した存在で、もうすぐ「41歳」の誕生日を迎える。ゴールを目指して、ひたむきに走る姿に心を打たれて「感動した、勇気づけられた」というファンの心の中では、いつまでも生き続けている。

 2016年3月12日に「華麗なるオグリ一族 オグリローマン、NAR特別表彰馬に」で連載を開始した「オグリの里」。早いもので10周年の節目を迎え、聖地・笠松競馬場から愛と感謝の思いを込めて、改めてオグリキャップの魅力と功績に迫ってみた。

 ■世代を超えて永遠に語り継がれるヒーロー

 笠松競馬場育ちで、有馬記念を2度も制覇。爆発的な競馬ブームの立役者として国民的ヒーローになった。それだけでなくオグリキャップ最大の功績は、引退後もファンに愛され続け、廃止寸前だった笠松競馬場を存続させ、日本の競馬界や北海道の馬産地も救ったことにあった。

1990年12月、ラストランとなった有馬記念を制覇したオグリキャップと武豊騎手

 JRA「優駿」による「未来に語り継ぎたい名馬2024」ではディープインパクト、イクイノックスに次いでオグリキャップは第3位。毎回上位でランクインを続けており、女性票では2位と支持を集めた。引退から長い歳月を経ても色あせることなく輝きを増しており、時代と世代を超越した普遍的なスーパーヒーローといえよう。

 50代以上の人ならリアルタイムでその雄姿をテレビで見たこともあるだろう。ラストランとなった有馬記念での優勝は、夜のNHKニュースでも地鳴りのようなオグリコールと共に大きく報じられた。1989年にはオールカマーから有馬記念まで99日間に6レース。酷使に耐えた激闘は「24時間戦えますか」の栄養ドリンクCMのイメージで、当時の「バブル戦士」の生きざまを象徴。空前の競馬ブームで、スポーツ新聞とぬいぐるみも抱えた「おやじギャル」と呼ばれた女性らが競馬場に殺到し、社会現象にもなった。

 「競馬はやらなくても、オグリキャップという馬の名前は聞いたことがある」という人は多かった。平成生まれの若い人たちもテレビの年末特番や漫画・アニメの「ウマ娘シンデレラグレイ」で知った人も多いことだろう。世代を超えて永遠に語り継がれるヒーローとなった。

1987年11月、安藤勝己騎手の騎乗で名古屋・中日スポーツ杯を勝ったオグリキャップ

 ■アンカツさんのゴーサインに鋭く反応、ゴール板の位置を知っていた

 オグリキャップ最大の魅力、それはレースを見る人に感動を与えたことにあった。馬でありながら、精神的にどこか人間に近い存在だった。その頑張って走る姿は、頭の位置が低く、ほかの馬より明らかに「低姿勢」。ゲートインでは大きく体を揺すって「さあ走るぞ」と武者震い。最後まで諦めない感動的な走りでファンを勇気をづけ、心を熱くさせた。頭のいい馬で、ゴール板がある位置を知っていたかのよう。自分からは動かないタイプだったが、アンカツさんらに教え込まれ、3~4コーナーでのゴーサインで鋭く反応。残り300メートルほどからゴールまでの距離を、体感でしっかりと把握。ギアチェンジすると、地をはうように沈み込む力強いフォームで疾走。ハナ差での勝利も多く、ゴールラインまでの距離感を前脚が、体全体が覚え込んでいた。

 ■オグリキャップのような馬はもう出現しない

 地方・笠松から中央へと駆け上がって、エリート馬たちをなぎ倒して重賞を勝ちまくった。ラストラン有馬記念で復活Ⅴを飾り、伝説のオグリコールが鳴り響いた。ドラマチックなそのストーリー性から「50年、100年に1頭」と呼ばれるスターホースになった。

 近年は血統のいい馬が中央に集まり、充実した坂路施設で調教から鍛え上げられる。賞金だけでなく競走能力の面でも地方と中央の格差は拡大。競馬社会特有の二重構造が進んでおり、地方出身で天下取りを果たすというストーリーは日本人好みだったが、芝のGⅠを勝つような馬は皆無で「オグリキャップのような馬はもう出現しない」という思いがますます強くなってきた。 

 ■地方馬の天下取り、「俺も頑張らなくちゃ」と勇気づけ

 笠松発のオグリキャップ・サクセスストーリーは「地方馬による天下取り」という立身出世にあった。昭和から平成にかけて、ハイセイコーやオグリキャップのような地方馬による中央GⅠ制覇は、爆発的な競馬ブームを呼んだ。特にオグリキャップのような岐阜の小さな競馬場の「野武士」が中央のエリート馬をバッタバッタと倒す雄姿は痛快だった。最後まで諦めないでゴールを目指す勝負根性に、地方出身の都会で働く人たちは「俺も頑張らなくちゃ」と勇気づけられた。

 毎年、有馬記念前になるとオグリキャップの特番が放送される。NHKでは「プロフェッショナル」をはじめ「あの日偶然そこにいて」「熱談プレイバック」など。「オグリの里」筆者としても、これまで取材を受けたり、写真を提供したりしてきた。新たな特番も始動しているようだが、当時の関係者はお亡くなりになっている人も多く時の流れを感じさせられる。

新刊「芦毛の怪物と勇者たちの激闘史」。オグリキャップの笠松時代からのライバルたちが全て登場

 そんな状況ではあるが、オグリキャップ誕生の最大の功労者である元調教師の鷲見昌勇さんは郡上市の実家でご健在だ。「オグリキャップの先生であり語り部として、いつまでもお元気でいてください」と先日も新刊「芦毛の怪物と勇者たちの激闘史」をお贈りした。キャップと死闘を繰り広げたライバルたちの奮闘ぶりにスポットを当てた一冊で、笠松時代の全12レースと東海ダービーなどを執筆。「マーチトウショウとの写真判定ハナ差、実は『同着』だった」といった裏話も詰め込んだ。

 ■笠松のスタンドにはデビュー戦を見た熱心なファンも

 笠松競馬場内では、ウマ娘ファンの若者グループも増えたが、昭和、平成の時代からこつこつと馬券を買い続けて、経営を支えてきたのは熱心な常連さんたち。パドック前のスタンドには、遠い過去の記憶を呼び戻しながら「オグリキャップは確か2回負けたよ」と、当時のレースをデビュー戦から見ていたという貴重なファンの方もいらっしゃった。

 その頃はフェートノーザンやワカオライデンなど古馬で強い馬がいっぱいいた時代。オグリキャップが中央に移籍した時点では、有馬記念を2度も勝つような最強馬になるとは誰も思っていなかった。それでも東海ダービー制覇を断念させられた鷲見調教師だけは、中央でも「勝つ。絶対に勝って上がっていく馬だと信じていた」というから驚きだ。

 中央デビュー時には既に古馬の風格が漂い、同世代を子ども扱いにした。北海道の稲葉牧場に母ホワイトナルビーを繁殖馬として預けていた小栗孝一オーナー。トータル250万円で買った馬だったが、鷲見さんは「中央で8億9000万円、よく働いて稼いだやろ」と種付けからのキーマンとしての相馬眼に満足感を漂わせた。「幻のダービー馬、3冠馬」とも呼ばれ、GⅠは4勝どまりだったが、JRAの年度代表馬にも輝き、オグリキャップの名声は天下にとどろいた。

オグリキャップ像前にはウマ娘パネル(オグリキャップとタマモクロス)も設置され、撮影スポットに

 ■「オグリキャップが走った聖地をつぶすな」

 有馬記念を勝って日本一となった出世馬オグリキャップだが、競走馬としての現役生活は笠松時代から3年7カ月。やはり突然変異だったのか、活躍は一代限り。種牡馬としては成功しなかったが、引退後も北海道の優駿スタリオンステーションの牧場で功労馬としてのんびりと過ごし、雄姿を披露してきた。

 笠松競馬場正門横ではブロンズ像にもなり、長年の風雪にも耐えてきた。存続を支える「笠松競馬の守り神」として目を光らせ、勇気と元気を生むパワースポットとしてもウマ娘ファンらに愛され続け、今もその存在感と影響力は絶大だ。

 現役時代はバブル時代の真っただ中で、札束も乱れ飛んだ競馬ブームの主役となったオグリキャップだが、引退後も含めた最大の功績は「笠松競馬場存続」への大きな力になったことだった。2004~05年、笠松競馬は存廃に大揺れ。90%以上は廃止に傾いていたが「オグリキャップが走った笠松をつぶさないでくれ。聖地の灯を消さないで」と全国のファンら有志が立ち上がって存続を訴え。「笠松競馬を未来につなげる集い」には笠松のジョッキー全員やアンカツさん、各地の競馬ライターらも登壇して「笠松競馬場を残してほしい」と存続を力強くアピールした。

 ■存廃サバイバルレース「次は笠松か」廃止ドミノ加速も

 99年にはレジェンドハンターが中央重賞をあっさり勝ち、GⅠ・朝日杯3歳Sでも2着になるなど笠松競馬は地方競馬の先頭を走っていた。21世紀初頭には地方競馬場がバタバタと倒れ込み、廃止が相次いだ。存廃サバイバルレースの様相になり「次は笠松か」と覚悟させられた関係者だったが、そこで現場の人たちが底力を発揮し、踏みとどまった。

 「まだ赤字にもなっていない笠松がつぶれたら、他の競馬場もやばい」という意見が大勢だった。もし笠松が倒れていたら、巨額赤字を抱えていた岩手、名古屋、高知なども地方競馬廃止の流れは止められなかったことだろう。

2005年4月、笠松競馬場に里帰りしたオグリキャップ。アンカツさんとも再会し、復興の救世主になった

 相次ぐ地方競馬廃止は、競走馬を供給する北海道・馬産地の経営自体をも直撃。笠松は地方競馬全体をも存続させる「最後のとりで」であり、北海道の生産者団体からも「笠松へ経営参入」の提案もあった。当時、競馬場内の展示室には「笠松、頑張れ」と応援する生産牧場の色紙がいっぱい掲示され、存続を後押しした。

 最終的には最後まで諦めない「オグリキャップ精神」が現場を勇気づけた。年間7億円の経費削減策(賞金、手当など)を受諾し「1年間の試験的存続」を勝ち取った。もし笠松がつぶれていたら「廃止ドミノ」は加速。地方競馬で今も生き残っているのは、JRAに次いで馬券販売力がある南関東ぐらいだったのでは。

 ■「再興の救世主」として里帰り、存続で古巣に恩返し

 05年のオグリキャップ記念開催時には「再興の救世主」としてキャップも笠松競馬場に里帰り。アンカツさんとも再会し、存続を後押ししてくれた。この名馬がいなかったら、笠松競馬存続を求める署名は8万人以上も集まらなかっただろうし、経営問題検討委の「速やかに廃止すべき」に押し切られて、笠松競馬場は21年前、ラストレースを迎えていたことだろう。

 調教師の奥さんたちが主力メンバーとなった笠松愛馬会をはじめ、全国のファンの存続を願う力も大きかった。現場でもがき苦しんでいた騎手や調教師らの背中を押してくれたからこそ、笠松競馬は存続できた。最後は「俺たちが生きていくには、馬しかいないんだ」。現場の底力が発揮され、賞金・手当といった生活の糧の大幅カットにも我慢強く耐える道を選び、存続につなげた。

1991年1月、笠松競馬場でのオグリキャップ引退セレモニーには大勢のファンが来場した(笠松競馬提供)

 多くのオグリキャップファンには、中央入り後のタマモクロスとの芦毛対決やジャパンカップでの激走、有馬記念での復活Vなどが印象的だった。ただ何事にも動じることなく淡々と仕事をこなした引退後も、キャップは自分を強い馬に育ててくれた古巣・笠松競馬場へ恩返しを続けてくれたのだ。

 永眠した2010年当時、笠松競馬の馬券販売はどん底状態だったが、オグリキャップ像は正門横でファンを優しく出迎えてきた。6年前に発覚した調教師、騎手らによる馬券不正購入など一連の不祥事では、8カ月間もレースが休止されたが、残ったホースマンが一丸となって再生を誓い、我慢強く生き延びて復活を果たした。

 ■地方・中央交流レースの発案は笠松ファン有志

 近年、ダートグレード競走などで地方・中央の交流レースは盛んになってきたが、下級クラスの交流戦では笠松競馬ファンらの果たした役割は大きかった。80~90年代、オグリキャップやライデンリーダーが地方と中央の間の厚くて高い壁を突き破って快走。中央重賞をあっさり勝つ馬が相次ぎ「不思議の国」とも呼ばれた笠松を中心に、地方馬の実力が徐々に認められたことが重賞クラスでの交流につながった。

 一方、中央未勝利・1勝馬を地方競馬で走らせる「地方・中央交流戦」の発案はやはり笠松競馬のファンだった。2004年秋、笠松競馬存続を願う有志が国に提案した「競馬特区構想」では、中央勢との交流レースを笠松など地方競馬場で開催するよう切望した。

 この訴えは国を動かし、今では各地方競馬場で毎月2回ほど地方・中央交流戦が行わるようになった。笠松存続を願ったファン、関係者たちの熱い思いが形となって実った。全ては「オグリキャップの聖地である笠松競馬場の灯を消さないで」との思いから始まった競馬界の構造改革だった。

JRA交流戦、パドック前で整列したジョッキーたち。中央が坂井瑠星騎手

 ■地方競馬は中央未勝利馬の受け皿

 中央で未勝利戦を勝てなかった馬は、地方に移籍して走っているケースが多い。笠松でのB級、C級の10頭立て。生え抜き馬は少なく7、8頭が中央からの転入馬だ。地方競馬は明らかに中央で勝てなかった馬の受け皿になっているのが現状。「愛馬に現役を続けさせたい」と願うオーナーさんらの熱い思いに応え、勝利を重ねて中央復帰を果たす馬も多い。地方ならたとえ勝てなくても、毎月2回ほど走っていれば現役を長く続けられるというメリットもある。

 今世紀初頭から中央馬が圧倒的に強くなり、地方馬は対等に戦えておらず。「巨大企業」ともいえるJRAと「中小企業」の地方競馬との賞金格差はあまりにも大きすぎる。1着馬の最低賞金額で比較すれば、中央(未勝利戦)が560万円に対して、笠松(C級)は40万円と10倍以上の格差がある。日本競馬界の険しい二重構造は、依然として改善が進んでいない。

 ■地方登録馬約1万3000頭、JRAは約8000頭

 もし2005年のあの時、笠松が廃止になって、地方の競馬場が激減していたらどうなっていたか。日本の競馬界自体も激変していた可能性がある。昨年の競走馬登録数は地方が約1万3000頭でJRAは約8000頭。生産地は98%以上が北海道。地方馬には中央で未勝利だった馬たちも数多い。

 地方競馬場自体がバタバタと倒れていれば、中央で勝てなかった馬は「都落ち」して活躍できる行き場をなくしていた。競走馬を供給する北海道の生産地も、経営力がある大きな牧場しか生き残っていなかっただろう。

有馬記念Ⅴでオグリコールが沸き起こった中山競馬場

 ■オグリコールは永遠、日本の競馬史上最高の名場面

 テレビの特番やネットのユーチュ-ブなどでいくら過去のレース映像などが流れても、オグリキャップが地方競馬存続に果たした貢献度にまで踏み込んだ番組までは今後も生まれそうにない。それだけに「オグリの里」を愛読していただいている読者の皆さんには、そこのところをよく知っていただきたい。

 公営ギャンブルとして国や地方自治体が経営者である日本の競馬事業。地方では経営難のため廃止が相次いだ苦しい時代もあったが、今も生き残っている競馬場はそれぞれ荒波を乗り切ってきた。

 ありがとう、オグリキャップ。聖地・笠松競馬場だけでなく、日本の競馬界や北海道の生産牧場をも救ってくれた。あの有馬記念Ⅴでの「オグリ、オグリ」の大声援は日本の競馬史上最高の名場面。永遠のオグリコールは100年後も競馬ファンの心を熱く揺さぶっていることだろう。


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 「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」に続く第4弾「挑戦編」では、笠松の人馬の全国、中央、海外への挑戦を追った。巻頭で「シンデレラグレイ賞でウマ娘ファン感激」、続いて「地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった」を特集。

 林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、196ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも。