レースと子育てを両立させた宮下瞳騎手(右)とLJS総合優勝の小笠原騎手(左)、準優勝の深沢杏花騎手

 調教師に転身した宮下瞳騎手。引退レース後の記者会見では、男性社会の競馬界にあって女性騎手の現在地、産休制度についての質問も多く飛んだ。「出産しても騎手免許を継続したまま復帰できる産休があるといい。女性騎手を育てたいです」と、これまで苦労されてきたジョッキーと子育ての両立への思いも熱く語った。

 騎手という職業は「個人事業主」でもあり、競馬場サイドによる産休制度の導入は難しい面もあるのだろう。それでも差別なく女性騎手を増やし、活躍の場を広げていくことは公営競技としての使命でもある。地方競馬の馬券販売は依然好調で、勝負の世界に生きて輝きを増し、ファンにも人気の女性ジョッキーに長く現役を続けてもらうためには、何らかのサポート体制が必要とされる時代になってきた。

日本唯一のママさんジョッキーとして現役復帰を果たし、活躍を続けた宮下騎手

 ■デビュー当初はハナ差負けで騎乗変更も

 男性が多い競馬の世界に、瞳さんが数少ない女性騎手としてデビューした1995年。「入った当時は女性に『差別』ではないですけど、そういう面もありました。レースにハナ差で負けたりしたら『やっぱり女性は駄目なんだ。すぐ乗り役をかえてくれ』と言われて、騎乗変更も多くあって残念な部分はありました」と振り返った。

 2005年2月、名古屋競馬所属の小山信行騎手と結婚。韓国遠征後の11年8月、妊娠に伴い騎手免許を返納。「勝負の世界から離れ、一人の女性として頑張りたい」と現役を引退。子育てなど家族との生活を優先した。

 JRAでは藤田菜七子騎手の活躍もあって19年春以降、地方・中央とも負担重量の減量制度が変更され、通算101勝以上を挙げても女性騎手は「2キロ減」となった。

 瞳さんは「いまの時代、女性騎手はすごく恵まれていて、チャンスをたくさん頂けて皆さん頑張っている。JRAの女性騎手が増えてきて活躍している姿を見ると、女性も同等に戦えると場だと思います」。さらに「地方競馬で子育てと両立させていくには、環境が一番大事だと。私の場合は周りの方々に恵まれていて支えがあったからこそ復帰できたし、子育てを手伝ってもらいながら頑張れたので本当に感謝しています」と語った。

1000勝達成セレモニーでは息子2人と祝福を受けた(NAR提供)

 ■「産休あると出産しても戻りやすい」

 結婚、出産など女性としてのライフイベントもあって、ジョッキーとして頑張ることの難しさも感じてきた。「騎手なので勝たなければ何も意味がないというか、勝たないと認められないので悩む時期もたくさんありました。それでも出産して子どもたちのために頑張ろうとか、子どもたちの応援があるから頑張れた自分がいました」。やはり一番は復帰を決意させてくれた息子2人の応援で、顔を見ればレース後の疲れも吹っ飛び、大きなパワーにもなった。

 引退を迎えたこの日「レース前『頑張ってくるね』と子どもたちに言って出掛け、最後の騎乗を終えて『どうだった』と聞くと『かっこ良かった』と言ってくれました」と子どもたちの話をされる瞳さんは本当にうれしそうだ。

 競馬の世界で女性が活躍していくためには「一般社会だと産休が認められていますけど、競馬の世界では認められていません。産休があると、女性騎手が出産しても戻りやすいのかなと思います。そういう体制を私がサポートして、広げていけるといいなと思っています。自分が厩舎を持つ上で、女性厩務員さんを入れる機会を増やしたいです。女性ならではの馬との接し方、特有の優しさを競馬や厩務員の仕事に生かしていければ」と胸の内を語った。

LJS笠松ラウンドに参戦した女性騎手たち

 ■出産控えた浜尚美騎手も復帰に意欲

 労働基準法に基づく「産前産後休業」は雇用されている労働者を対象としているため、個人事業主である騎手には直接適用されない。かつては結婚や出産を機に引退する女性騎手も多かったが、瞳さんは出産を経て騎手に復帰して大活躍。他の女性騎手にも希望を与えており、出産を控えた浜尚美騎手(高知)も復帰に意欲を示している。

 高知競馬では19年に誘導馬騎手(下村瑠衣元騎手)が産休を取得したことがある。「誘導馬の騎乗をお休みし、ジョッキーズトーク出演などをお願いする予定です」と高知競馬ホームページで公表された。女性騎手も安心してレースに参戦し、出産・育児と両立できる環境づくりが競馬界全体の今後の課題となってくる。

 ■ママさんレーサー多く「勝負師」と両立、将棋の世界でも

 公営競技である競馬の騎手をはじめ競輪、ボートレース(競艇)、オートレースの選手はいずれも個人事業主であり、原則として雇用保険の対象外。ボートレースの世界ではレーサー1625人のうち女性は278人(10月1日時点)。このうちママさんレーサーが60~70人いるとみられ、支援制度創設の動きは広がり、出産後も競技を続けやすい環境づくりが進められている。ガールズケイリン(約200人)でも選手個人の事情に配慮した産休・育休の制度見直しが進んでいる。

 このところのニュースで注目を浴びたのは将棋の世界。日本将棋連盟は16日、「妊娠・出産で女流タイトル戦不戦敗」となる規定を削除すると発表した。規定の変更を求めた福間香奈女流六冠(33)の覚悟の訴えが将棋連盟を動かした。女流棋士は、日本将棋連盟と雇用関係にあるわけではなく個人事業主扱いではあるが、連盟では「女流棋士が安心して対局ができる環境を整えることは連盟の責務」とした。

 競馬界でも「ジョッキーになりたい」という女性は増えてきており、宮下さんの出産後の復帰は騎手としてのキャリア継続の可能性を広げた。公営競技全体でも「勝負師」と「ママさん」を両立させたいという女性アスリートが増えている。仕事と家庭を両立できる環境整備は業界全体の課題で、サポート体制の充実が求められている。         

浜尚美騎手も応援に駆け付け、ファンへのサインなどで交流を深めた

 ■浜騎手「自分も早く乗りたい」

 宮下騎手の引退とともに、レディスジョッキーズシリーズ(LJS)は「ザ・ファイナル」として今回でひと区切りとなった。笠松、名古屋ラウンドでは出産を控えた浜尚美騎手はレースには不参加だったが、スペシャルゲストとして応援に駆け付けてくれた。「こうやって呼んでもらってありがたいです」と感謝し、出場者にエールを送った。笠松での騎手紹介式では「ハマちゃ~ん」とファンから声を掛けられてにこやか。妊娠9カ月で休養中だったが、多くのファンへの「色紙サイン」にも応えて奮闘。来場者からはおなかの赤ちゃんを心配する声も飛んでいた。本人は「休職は騎手を辞める選択肢ではないです。自分も早く乗りたい」と復帰に意欲を示している。

 瞳さんの会見では「浜騎手からは『瞳さんみたいに出産してからも乗りたい』という話を常々してくださっていたので『応援しています。何かサポートできることがあれば、いつでも手伝います。頑張ってください』という言葉を掛けさせてもらいました」と自分に続く浜騎手の「出産後、レース復帰」に期待を寄せていた。

LJS名古屋最終戦で宮下騎手を差し切り、総合優勝を決めた小笠原羚騎手(名古屋競馬提供)

 ■後輩の小笠原騎手や木之前騎手の活躍を期待

 名古屋競馬の後輩女性騎手は2人になったが「レースを盛り上げていて、小笠原騎手はLJS初出場で優勝しました。どんどん伸びていけるし4キロ減(現在)を活用してもっと活躍してほしい。木之前騎手は名古屋のアイドル的な存在なので、頑張ってもらいたいです」とエールを送った。その小笠原騎手はLJS名古屋最終戦では宮下騎手を2着に退けて差し切り勝ち、シリーズ総合Ⅴを決めた。騎手引退の前日で、負けはしたが「調教師になったら小笠原騎手にも騎乗してもらい、いっぱいアドバイスをしたい」とルーキーの成長を期待していた。

引退セレモニーであいさつする宮下騎手

 ■「調教師や厩舎仕事、主人と子育ても両立させて」

 瞳さんは韓国のレース(1年半の期間限定騎乗)では56勝を挙げた。「韓国は改めて競馬に乗ることや勝てる楽しさ、うれしさを再度実感させてもらった場所でした。私が調教師になったら、主人は厩務員の仕事をやりたいと言っていたので、いろいろと勉強してくれたと思います」。騎手と子育ての両立については「主人が韓国から帰ってきてからは、子育てをほとんどやってくれていましたが、これからは2人で協力して、調教師や厩舎の仕事をやりながら子育ても一緒に両立させて頑張っていきたいです」と意欲を見せた。

名古屋競馬場のパドックで、現役最後の騎乗に向かう宮下騎手

 女性ジョッキーとして1382回も勝てたことについては「頑張って走ってくれた馬と、関係者の皆さまにすごくいい馬にたくさん乗せていただいたおかげで感謝しています」。馬との関わりでは「人間と一緒で牡馬を扱う時は、ばかにされないように強気で向かっていく気持ちで、牝馬に乗る時は怒ったり、カリカリさせないようにしていた。自分では馬の気持ちが分かっているつもりで接していました」と愛馬たちと優しくふれあってきた。

 ■名古屋では、沖田明子調教師に続いて2人目

 宮下瞳厩舎開業後には「女性騎手をすごく育ててみたいです。自分だからこそ教えてあげられたり、他の人には分からない部分もあるので、女性騎手を育てていければいいです」と、厩舎が落ち着いてからの受け入れに意欲を示した。
         
 地方競馬の女性調教師としては史上10人目で、現役では8人目。名古屋競馬では沖田明子調教師(40)に続いて2人目となった。ウインユニファイドで東海ゴ-ルドカップ(22年)を勝ち、笠松でもおなじみの沖田調教師は、錦見勇夫厩舎の調教師補佐から転身した。開業5年目で重賞3勝。沖田厩舎には小笠原羚騎手が所属している。中央競馬では前川恭子調教師(48)=栗東=が女性初めての合格者で、今年3月に厩舎を開業した。これまでに中央で6勝、地方で2勝を挙げている。

LJS名古屋ラウンドに参戦した宮下騎手(左)と笠松、名古屋の女性騎手たち

 ■仕事以外では「家族で旅行に行きたい」

 調教師の仕事以外で何かやりたいことは。「家族で旅行に行きたいです。騎手だと休みがあまりなくて、遠くへ遊びに行くことができなかったので、子どもと家族との時間を大切にしたいです。いままでは1~2泊が最高でしたのでもっと長く行きたいです」

 騎手人生を振り返って一番苦しかったときは。「デビューしたての頃は全く乗せてもらえなかったです。騎手が60人ほどいて、そのときは女性が全然認められていない状態だったので、乗ったとしてもすぐに騎乗変更させられたりしました。いまは騎手自体が少ないので、新人でもたくさん騎乗させてもらえますが、私たちの時代は最初乗せてもらえなかったのが苦しくて大変でした」 

2011年、最初の引退セレモニーで瞳さんと夫の小山信行騎手(名古屋競馬提供)

 ■「私にもできる、頑張ろう」と思ってもらえれば

 自身を振り返って産休制度がこの世界に導入されればいいと思っていますかという問いに対しては「はい、思っています。騎手免許を一度返してしまうと再度、新人騎手と一緒に学力試験や実技・面接を受けなければならないので。騎手免許を継続したまま産休ができるのなら、産休を取ってそのまま騎手に復帰できるというのが理想です」。

 夫の信行さんが韓国に行っている間に、瞳さんは騎手復帰を果たした。その間のサポートの在り方については「身内の方(母親や父親ら)で、調教に行ってる間から子どもたちの面倒を見てもらえれば、やっぱり安心して競馬場に行ってレースにも集中できるので、助けてくれる人がいればと思います」。後輩の女性ジョッキーへは「いままでは結婚して出産したらもう騎手人生が終わってしまうのが当たり前のような感じでしたが、私が出産して女性騎手として復活している姿を見て『私にもできる、頑張ろう』と思ってもらえるといいです」とエールを送っていた。

引退デー、ファンの前で笑顔を見せてパドックを周回する宮下騎手

 ■「厩務員のお母さんが、子どもたちの面倒を見てくれた」

 騎手として復帰した当時「竹口(勝利)先生はめちゃくちゃ喜んでくださって、辞めようとしていたタイミングでしたが『俺はもっと頑張る』と生きがいにしてくださった。騎手になる前から娘のようにかわいがっていただいて、先生のためにも私も頑張ろうとして、お互いに良かったです」。

 周囲の支えについて宇都英樹調教師によると「隣に住んでいる厩務員さんのお母さんが、まだ小さい子どもたちの面倒を見てくれていたそうで、サポートしてくれる方がいてすごく助かったと思う」という。未明の調教タイムなどから世話をしてくれる人が身近にいて、背中を押してもらっていたのだ。

 当時、騎手だった宇都さんは「また騎手をやりますと相談を受けたときは『子どももいるし、けがしたら危ないんで』と心配して瞳さんの騎手復帰を反対しましたが、本人の性格的にもやるだろうなと思っていた」と振り返り、無事引退を迎えてくれて「結果的には良かった」と頑張りをたたえた。

笠松競馬初の女性ジョッキーとして120勝を飾り、卑弥呼杯に宮下騎手と参戦した中島広美騎手(左)

 ■笠松の中島広美騎手も復帰を目指したが、貫太君出産で断念

 宮下騎手デビュー前の1992年、笠松では中島広美騎手が女性として初デビュー。96年に先輩の田口輝彦騎手と結婚。2000年までは笠松で騎乗していたが、01年に長女、03年12月には長男の貫太君(現在JRA騎手)を出産した。
 
 当時、中島騎手は理解のある夫の応援もあって、長女出産後もママさんジョッキーとして復帰を目指していた。1年ごとに騎手免許更新を続け、03年春まで返納せずに保持。夫の田口厩舎に所属し、調教で乗ったりもしていたが、第2子となった貫太君出産を控え、ジョッキーを引退。更に2年後には次男も生まれ、完全に復帰を断念した。出産後も子育てに追われてレースで乗れず、収入を得られないまま騎手免許を保持し続けることは難しい選択だった。

 現在、田口厩舎にはリーディング経験者の筒井勇介騎手、広美さんに続く女性ジョッキーの深沢杏花騎手が所属。広美さんも厩務員として厩舎仕事を手伝っている。

 通算120勝を挙げた中島騎手。女性ジョッキー戦として創設された1997年の第1回卑弥呼杯(中津)では2勝を飾り総合優勝。宮下騎手も参戦し7位。99年には宮下騎手が勝利を挙げ、準優勝に輝いた。中島騎手は6位、細江純子騎手(JRA)も参戦し7位だった。
 

夫婦で厩舎を開業し、子どもたちはジョッキーになる夢に向かって突っ走る宮下瞳ファミリー

 ■育てた愛馬で笠松の重賞にもチャレンジを

 先行馬有利で瞳さんも好印象を持っていたという笠松競馬場。調教師として所属馬をいつか名古屋から遠征させてもらえれば、地元ファンも喜ぶだろう。笠松には深沢騎手もいるし、宮下厩舎からの騎乗依頼があれば盛り上がる。

 騎手時代には笠松では重賞勝ちがなかったので、宮下調教師の手で育て上げた愛馬で笠松の重賞にも、先輩の宇都調教師のようにぜひチャレンジしていただきたい。「調教師になって、子どもたちをサポートできれば」と騎手引退を決断した瞳さん。母親の背中を押した優心君と健心君もジョッキーになる夢をかなえて、JRA交流戦などで名古屋や笠松にも参戦できる日が来るといい。

ジョッキーとして「やり切った」。ラストゴール後、晴れやかな宮下騎手

 記録にも記憶にも残る最強の女性ジョッキーだった瞳さん。2度目の引退セレモニーを迎え、勝利女王として「1382」まで積み上げた勝利数はすごい数字だ。2011年8月、最初の引退時の勝利数は「626」で女性騎手最多記録ではあった。ところが当時、高知の別府真衣騎手がその記録を猛烈な勢いで追い上げていた。21年11月に引退し調教師に転身したが、勝利数を「747」まで伸ばした。宮下騎手の復帰時「別府騎手に自分の日本記録を破られたくないのでは」と個人的には感じていた。もし宮下騎手が復帰しなければトップの座は別府騎手に譲っていたことになるし、1000勝を突破しこれほどまでに注目されることもなかっただろう。

 ■「宮下瞳厩舎」の幕が上がり、素晴らしいホースマンに

 ファンの心の叫びに応えて場内をもう1周し「ジョッキー宮下瞳」劇場の幕は下りた。そして新たに「宮下瞳厩舎」の幕が上がる。亡くなられた師匠・竹口調教師の厩舎を引き継ぐ形でスタートする。

 新たなターニングポイントを迎えた「宮下瞳ファミリー」の動向に今後も注目するとともに、関係者の信頼を得て素晴らしいホースマンへと成長されることを多くのファンと共に願って応援していきたい。


 ☆ファンの声を募集

 競馬コラム「オグリの里」への感想や要望などをお寄せください。  騎手や競走馬への応援の声などもお願いします。コラムで紹介していきます。
 (筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
 
 ☆最新刊「オグリの里4挑戦編」も好評発売中

 「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」に続く第4弾「挑戦編」では、笠松の人馬の全国、中央、海外への挑戦を追った。巻頭で「シンデレラグレイ賞でウマ娘ファン感激」、続いて「地方馬の中央初Vは、笠松の馬だった」を特集。

 林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、196ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。笠松競馬場内・丸金食堂、ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも。