秋田和哉監督インタビュー第5回は、自身2度目の甲子園出場を果たし、監督としても市岐阜商としても初勝利を飾った2008年に学んだこと。さらに以降、自身の長男千一郎君がエースだった12年など何度も甲子園に近づきながら3度目出場が果たせないまま、岐阜城北に転任するまでの戦いを聞いた。(岐阜新聞デジタル独自記事です)

 秋田和哉(あきた・かずや) 1968年、岐阜市生まれ。内野手、捕手。県岐阜商3年時に夏の甲子園に出場。名城大に進み、1年から出場、4年時に主将も務めた。岐阜県で教員になり、母校の県岐阜商副部長、中濃(現関有知)監督を経て、99年に市岐阜商に転任し、翌2000年から監督。03年と08年に2度甲子園出場し、常に県上位の強豪校を築く。中神拓都(元広島)らを育てる。20年から岐阜城北に転任し、監督。24年に甲子園出場を果たした。4人の息子も高校球児で長男千一郎(市岐阜商出)、四男和佳(岐阜城北出)とは親子鷹で甲子園を目指した。

 ―2008年の岐阜大会はどんな感じでしたか。

 秋田 順調に夏を迎えたが、試合内容は苦戦した。組み合わせ的にも伊藤準規(元中日)の岐阜城北がいる、大垣日大も美濃加茂もいるという「第1シードの意味ないやん」という抽選結果だった。岐阜城北とは4回戦で当たった。

2008年夏の甲子園で初戦突破し、3回戦の聖光学院戦を前にインタビューに答える市岐阜商監督時代の秋田和哉監督

 伊藤の出来はよかった。春に見た時に思ったのは、足を使って攻めるしかないなと思って、バントや盗塁を使った。ちょうど1番に髙井慶二といういい選手がいて、ノーサインでいけるので、初回に二盗、三盗して先制した。ただ、中盤から伊藤の変化球が決まりだして、ピッチングがすごくよくなって、点が取れずに追いつかれて延長に入った。

 結局、延長十回に2死三塁から、伊藤のワイルドピッチで生還したのが決勝点になった。

 準々決勝は美濃加茂に7―0でコールド勝ちし、準決勝の相手は土岐商。お互いにシードで、春に県岐阜商の先輩の工藤昌義監督から「練習試合しようか」と言われてやった。エースの原一智は投げなかったがぼこぼこに打たれて十何点取られた。打線がよくて強かった。

2008年岐阜大会4回戦でプロ入りした伊藤準規擁する岐阜城北に勝利した激戦を伝える岐阜新聞紙面(2008年7月21日付け)

 試合は、先制されて追いついて、七回表にまた1点取られて追いついて、九回裏。1死から西川拓也が中前打で出塁し、送って髙井が右前にサヨナラヒットを打って勝った。

 この年、岐阜城北の藤田明宏さん、土岐商の工藤さんという2人の県岐阜商の先輩との接戦を制して2度目の甲子園に行ったが、この2人の指導者とは、絶対に負けないぞと思って頑張り、大いに自分を高めてくれた。もちろん、藤田さんと同学年で僕の一つ上の鍵谷英一郎さんと鹿野浩史さんの2人とも切磋琢磨(せっさたくま)できたことは指導者人生の中で、ものすごく大きかった。

 ―2008年決勝は大垣南に8―2。前回は岐阜総合だったが、いずれも川本勇監督に勝って甲子園出場を果たした。甲子園では、秋田先生にとっても4度目出場の市岐阜商にとっても記念すべき初勝利を挙げた。

 秋田 1回目の03年の反省が生きた。...