私は、自他ともに認める筋金入りの「本好き」「書店好き」です。
書棚のあいだをふらふら歩きながら、背表紙をぼんやり眺めたり、気になった本を次々と手に取ってみたり。あの時間には、何とも言えない幸福感があります。
振り返ってみると、私の人生の節目には、いつも本と書店がありました。
岐阜で過ごした中学・高校時代。通学路にあった書店(自由書房!)に立ち寄るのが、毎日の習慣でした。18歳で東京へ出て、大学生活が始まってからも、その習慣は変わりません。
私は水泳部だったのですが、練習拠点のプールは古い建物の地下にあり、その一階に大学生協の書店が入っていたのです。
朝練が終わると、開店時間を見計らってその書店へ向かう。特に目的があるわけではなくても、そこで時間を過ごすのが好きでした。
本の虫でもあったのでジャンルにこだわらずに、さまざまな本を手に取りました。平積みになっていた当時の新刊は読んだか読んでいないかによらず、タイトルは覚えていたりします。長く続いた塩野七生さんの、ローマ人の物語や、村上春樹さん、村上龍さんなどの小説やエッセイも読みましたし、教科書に載っているような古典にも手を伸ばしました。

1997年に社会人になってからも、書店は変わらず私の日常の一部でした。あの頃は、全国どこの大きなオフィスビルにも、1階や地下の一等地に書店が入っているのが当たり前でした。
仕事に疲れた時にふらっと立ち寄る。急に調べ物が必要になって駆け込む。帰り道にお気に入りの作家の新作を買って帰る。そんなふうに、書店という場所は、自然に私の生活に溶け込んでいたのです。
けれど、皆さんもご存知の通り、2000年前後を境に風景は大きく変わっていきました。インターネットの普及でオンライン書店が誕生し、わざわざ足を運ばなくても本が買えるようになりました。
さらに、昨今のAI革命によって、情報収集の手段そのものが大きく変わりました。この現象はますます情報の扱いを変えるものだと思いますが、本日の主旨と少しズレるので別の機会に譲ります。
◆違う世界に繋がっている感覚
かつては「書店で本を買うこと」によって得ていた情報が、記事や動画、SNSを通じて、さらにAIが答えてくれる。私が岐阜で過ごした18年間のなかで、最も熱心に書店へ通っていたのは、中学・高校時代だったと思います。
中学生の頃は漫画や雑誌が中心でしたが、高校生になると少し事情が変わりました。...






