笠松競馬の守り神で「パワースポット」としても人気を集めているオグリキャップ像=2014年1月、年越しイベント
ファンを出迎え、ファンに囲まれて。オグリキャップ像の駆けだす雄姿は「永遠のアイドルホース」として、笠松競馬場でその輝きを増し続けている。聖地での誕生ストーリーの後編をお届けする。
オグリキャップ像は1992年1月25日までに完成。「古里」ともいえる笠松競馬場の正門東側の台座に設置され、2月4日には記念像建設実行委員会の古田好会長ら関係者に披露された。
完成したブロンズ像はオグリキャップ等身大の白銅製。体長168センチ、体高(背中までの高さ)166センチで実物と同様の芦毛色。たてがみをなびかせて、左前脚を上げ、いまにも駆けだしそうな姿を表現した。2010年7月、天国に旅立ってからも「オグリキャップよ永遠に」とたたえられ、日本競馬界最大のヒーローとして来場するファンを「ようこそ」と迎え続けている。
笠松デビューを果たしたオグリキャップ像。オグリ一族の馬主・小栗孝一さんの希望で、妹のオグリホワイトと弟のオグリトウショウは、この日の朝に「兄」と対面することもできた。一般公開される11日は、オグリキャップが種付けした最初の子の出産予定日でもあり、めでたさも二重。「永遠に功績をたたえたい」と発案した古田会長は立派なオグリキャップ像を眺め、いとおしそうに触れながら待望の完成を喜んだ。
■ファンの前で除幕「ふれあいの像として、功績を後世に」
有馬記念Ⅴでのオグリコールから1年余り。ブロンズ像になってデビューの地・笠松競馬場へ「里帰り」。第1回オグリキャップ記念のレース開催日に一般公開され、その雄姿は再びファンの注目を浴びることになった。
元祖アイドルホースのハイセイコー銅像は大井、中山競馬場と北海道(道の駅サラブレッドロード新冠)の計3カ所にあるが、設置はいずれも永眠した2000年以降。オグリキャップ像は引退直後、笠松競馬の馬主会長でもあった古田好さんがいち早く建立を提唱され、1年後に完成させたのは英断だった。雄姿は笠松のシンボルとなって、その後の競馬場存続にもつながった。
2月11日、オグリキャップ記念像の除幕式が笠松競馬場の正門東側で行われた。9日には北海道新冠町のヤマタケ牧場で待望の二世(オグリワン)が予定日より早く誕生したばかり。父のオグリキャップをたたえる絶好の日になった。
笠松競馬場で行われたオグリキャップ記念像の除幕式=1992年2月13日付・岐阜新聞夕刊1面
除幕式には、午前9時までに熱心なファン約300人が詰め掛けた。県地方競馬組合副管理者の岩田哲さんが開式の辞を述べた後、古田好会長は「全国のファンの思いがこのブロンズ像となった。だれもが手でが触ることのできるふれあいの像としてオグリの功績を後世に伝えていきたい」とあいさつで熱い思いを伝えた。
古田会長、初代馬主の小栗孝一さん、鷲見昌勇元調教師、安藤勝己騎手、神戸峰男記念像彫刻家ら関係者8人の手で除幕を行った。銅像を覆った白い布が取られると、雄姿を一目見ようと訪れた大勢のオグリキャップファンから拍手と歓声が上がった。
古田会長は「将来の笠松競馬の発展の象徴として造った」とも語り、オグリキャップの偉業を後世に伝え、笠松競馬のより一層の繁栄を願った。
台座には古田好さん直筆のオグリキャップにささげた詩が刻まれている(オグリキャップへの感謝状より)
台座の赤みかげ石には、古田会長直筆のオグリキャップにささげた詩が刻まれている(「県スポーツ栄誉賞」を受賞したオグリキャップへの感謝状より)。その下のボックスには、制作に当たって寄付したファンの名前を収納。また台座にはオグリキャップの全成績も刻まれた。
■「対面」した妹オグリホワイトは阪神・チューリップ賞7着
「兄」オグリキャップと対面した妹のオグリホワイト、弟のオグリトウショウ(幼名インディジョーンズ)はファンにもお披露目。共に母は兄オグリキャップと同じホワイトナルビーで、活躍が期待された。
妹のオグリホワイトは芦毛の牝馬で、オグリキャップ引退後の91年7月に笠松でデビューし3連勝。秋風ジュニアでトミシノポルンガを圧倒。ジュニアグランプリも制し30戦15勝。92年3月には武豊騎手騎乗で阪神・チューリップ賞に挑戦したが7着に終わり、桜花賞挑戦の夢はかなわなかった。この路線では2年後、妹オグリローマンの桜花賞制覇につながり、小栗オーナーは悲願の中央GⅠ制覇を果たした。
弟のオグリトウショウは天皇賞馬の父トウショウボーイと同じ鹿毛。良血で大きな注目を浴びたが、重賞は勝てず。中央にも移籍し5戦。900万下(現2勝クラス)4着が最高で、成績はやや期待外れに終わった。通算では30戦7勝。
■心を砕いた笠松競馬、オグリキャップ像建設提案~「わっちの半生 古田好の素顔を追って」より
当時の岐阜新聞で連載された「わっちの半生 古田好の素顔を追って」では、オグリキャップ像建設を提案したことが述べられている。原文を紹介する。
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羽島郡笠松町の笠松競馬場正門東側にオグリキャップの活躍をたたえるブロンズ像が飾られている。オグリキャップは笠松競馬から中央競馬に移り、有馬記念レースを制するなど史上最強馬といわれた。「笠松のオグリを永遠に」と、古田の発案で記念像がつくられた。
古田は笠松競馬の馬主会長をしている。古田自身は馬を所有していないが、まとめ役としての手腕を見込まれ、昭和20年代から会長を務めている。
完成したオグリキャップのブロンズ像。いとおしそうに触れる古田好さん
■「公平に行うために馬を持たずに馬主会長を続けてきました」
「県議に出たころ、競馬場の地代をめぐってトラブルがあり、頼まれて解決したんだわ。そんなことから難しかった馬主会の会長をやってくれと頼まれ、馬も持っていませんでしたが、引き受けました。馬を持っていないほうが都合がいいのです。欲がありませんから。よう走る馬を持っていれば、賞金をたくさん出そうとしたり、走らない馬だと手当を少しでも多く出すようにする。公平に行うために馬を持たずに馬主会長を続けてきました。全国でも珍しいんじゃないですかね」
馬主会ばかりでなく、地方競馬議会議長も歴任、笠松競馬の発展に心を砕いた古田。競馬界の名声を得たオグリキャップの里帰りレース(平成3年1月)を見てオグリの晴れ姿に感動、記念像の建設を提案した。
オグリキャップは昭和60年5月に笠松競馬場でデビュー、公営で12戦10勝を挙げた後、中央競馬に転籍、20戦12勝。中央での獲得賞金は約8億9000万円は賞金王記録になっている。
1987年11月、安藤勝己騎手の騎乗で名古屋・中日スポーツ杯を勝ったオグリキャップ
■小栗さん「一度、中央のひのき舞台で走らせてやりたい」
「オグリは笠松の時から怪物といわれていましたわね。中央に行く時、馬主の小栗孝一さんに『笠松においといていただけないか』と頼みましたが、小栗さんは『頑張ってくれる馬のためにも、一度、中央のひのき舞台で走らせてやりたい』ということでした。気持ちは分かりますはね」
ブロンズ像の制作は日展会員で名古屋芸術大教授の神戸峰男(48)=土岐市土岐津町=が当たった。「オグリは個性の強い馬、どうやって力強いイメージを出すか苦労しました。北海道までいってオグリに対面してきました」と神戸。マケット(縮尺模型)は静止の姿、脚を前後に伸ばして走っている姿、前脚を曲げて今にも駆けだす姿に3通り用意された。
■ポーズは「前脚を曲げた姿がぴったり合うと」
神戸は「ポーズを決める時、古田さんは『作家がよいと思うのが、一番いいだろう』と言われ、前脚を曲げた姿がぴったり合うと思って、今のになったのです」と話し、古田は制作に取り組む神戸の工房を度々訪れたという。
出来上がったブロンズ像は等身大で体長168センチ、体高166センチで、色は実物と同じ芦毛。除幕式は今年2月11日に行われ、古田は「全国のファンの思いがこのブロンズ像となった。だれもが手で触ることのできるふれあいの像としてオグリの功績を後世に伝えていきたい』とあいさつした。台座にはオグリキャップの全成績と古田直筆のささげる詩が刻まれている。
オグリキャップは今、北海道の牧場で種馬として平穏に過ごし、オグリ二世の子馬の人気は高い。(文中・敬称略)=岐阜新聞・1992年11月18日付
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オグリキャップ永眠後、北海道新冠町の優駿スタリオンステーションに新設された等身大のホワイトブロンズ像
■永眠後、北海道新冠町に等身大ホワイトブロンズ像
平成から令和へと時は流れ、厳しい経営状況が続いた笠松競馬だが、オグリキャップ像は競馬場存続の守り神、「勇気と元気のパワースポット」として大勢のファンを温かく出迎えてくれている。
オグリキャップの馬像は全国に2体。笠松競馬場のほか、2011年7月、永眠後の一周忌法要に合わせて、等身大ホワイトブロンズ像が北海道新冠町の優駿メモリアルパークに建立された。オグリキャップが引退後、種牡馬として過ごした優駿スタリオンステーションの隣接地にあり、いまも全国から多くのファンが訪れ、愛馬の活躍をしのんでいる。
2018年末に塗り替えられ、リニューアルされたオグリキャップ像
■長年の風雪に耐えて、塗り替えられリニューアル
まだ元気だった2005年には、笠松存続の最大のピンチに競馬場へ里帰りしてくれた。集客力を発揮してファンを呼び戻し「笠松競馬再興の救世主」とも呼ばれた。
長年の風雪に耐えてきたオグリキャップ像は永遠のパワースポットだ。2018年末に、白銅製の馬体のはげた部分などが塗り替えられて、黒っぽくリニューアルされた。芦毛っぽさは影を潜めたが、若々しく、たくましくなった。それでも「以前の方か好きだった」というファンもいる。同感である。実物と同じ芦毛色の方がオグリキャップらしさが表現されていた。
■第1回オグリキャップ記念、7番人気フワノビート勝ち「万馬券」決着
記念すべき第1回オグリキャップ記念(東海地区重賞、1着賞金1500万円)は7番人気の伏兵馬フワノビート(柳江仁厩舎)が原口次夫騎手の好騎乗で、初距離の2500メートルを逃げ切った。2着は東海ゴールドカップⅤのイチハヤヒデ=松原義夫騎手=。東海ダービー馬の1番人気マックスブレイン=安藤勝己騎手=は3着に敗れた。
第1回オグリキャップ記念の出馬表(岐阜新聞)。無印のフワノビートが逃げ切り、◎マックスブレインは3着だった
当時の馬券販売は大半が枠番連勝複式。8頭立てで枠連は28通りしかなかったが、万馬券決着で⑤⑦13180円。日曜を含む6日間開催でも2回ほどしかなかった万馬券が、第1回オグリキャップ記念で飛び出すとは。入場者1万4929人という数字もすごく、当時のにぎわいが感じられる。まだ場外、ネット販売はなく競馬場に来るしか馬券が買えなかった時代で、この日の売上高は笠松の窓口分だけで約6億2400万円だった。
オグリキャップが育った笠松競馬場に誕生したブロンズ像。第1回記念レースでは本命馬が負け、単勝7番人気のフワノビートが勝ったように競馬の奥深さ、魅力を伝えてくれた。その後は安藤勝己騎手が6番人気・サンディチェリーで、今年は渡辺竜也騎手が5番人気ケイズレーブで勝っているが、比較的上位人気馬が強いレース。フワノビートは歴代優勝馬でも最低人気での勝利だった。
オグリキャップ記念は中央馬も参戦するダートグレード競走(GⅡ)の時代(1997~2004年)もあったが、現在は地方全国交流競走。地方競馬でダートグレードがないのは笠松だけ。地方・中央の垣根を超越した走りでファンを魅了したオグリキャップの供養のためにも、早期のダートグレード復帰が望まれている。
2010年7月、笠松競馬場内のオグリキャップ像前には献花台と記帳台が設置され、全国から訪れたファンが雄姿をしのんで手を合わせた
■オグリキャップ永眠後「たてがみ」の記念碑新設
2010年7月、オグリキャップは放牧中の事故だったが、天寿を全うしたかのように突然、天国へと旅立った。笠松競馬場内のオグリキャップ像前には献花台と記帳台が設置され、全国から訪れたファンが雄姿をしのんで手を合わせた。
9月には、オグリキャップの遺髪となる「たてがみ」も展示記念碑として新設された。たてがみは、キャップが引退後、余生を送っていた北海道新冠町の優駿スタリオンステーションから、笠松競馬場に形見として贈られ、オグリキャップ像台座に設置。「オグリキャップよ永遠に」のメッセージも刻まれている。また「記帳簿」と「オグリキャップ号への追悼の言葉」を、たてがみ展示記念碑に収納した。
オグリキャップ像前には遺髪の「たてがみ」も展示記念碑として新設された
■「銅像は百年、千年とずっと残り続けるもの」
「元祖ぬいぐるみホース」から「銅像」になった芦毛の怪物。笠松競馬の開催日はもちろん、他場の開催日でも聖地巡礼で訪れるファンたちの姿がある。今年のオグリキャップ記念当日には、太田彩夏さんの「笠馬Ⅹ」(カサマックス)やNHK「新プロジェクトX」の収録がオグリキャップ像前でも行われ、放映された。
黄色のタワーと所属騎手一覧表が掲示されている笠松競馬場正門の横で、ファンの来場を歓迎してくれている守り神のオグリキャップ像
ラブミーチャンの銅像を手掛けた彫刻家の瀬戸優さんは「銅像は百年、千年とずっと残り続ける丈夫で不思議なもの」という。まずはこれまで経営難や不祥事など「逆風」に耐えてきた笠松競馬場が永続することが第一。さらに自然災害や人為的要因などさまざまなリスクを乗り越えて人類が生き残り、地球が消滅しない限り、オグリキャップ像は「永久に不滅」であろう。ファンに勇気と元気、感動を与える人気ナンバーワンホースとしてオグリキャップはいつまでも愛され続けることだろう。
■語り継いでいきたい「オグリキャップ精神」
「オグリの里」としても、今後何世代も続くであろう未来の競馬ファンに「最後まで決して諦めない」ことの大切さ、その懸命な走りで示してくれた「オグリキャップ精神」を語り継いでいきたい。ファンの皆さんも引き続きレース観戦や聖地巡礼で笠松競馬場に足を運び、まずはオグリキャップ像と対面。ご当地グルメや冷たい飲み物を手に、馬との距離が非常に近い迫力あるレースを満喫していただきたい。
「ウマ娘シンデレラグレイ」とのコラボイベントでは、オグリキャップ像前にウマ娘パネル(オグリキャップとタマモクロス)も設置され、ファンの撮影スポットになった
「オグリキャップのベストレースといえば」(オグリの里人気投票)では有馬記念(90年)、マイルチャンピオンシップ(89年)、ジャパンカップ(89年)がベスト3。笠松時代では宿敵マーチトウショウにハナ差勝ちしたジュニアクラウン(87年)が印象深い。「ゴール板の位置を知っていた」とも言われた感動的でみんなを勇気づける力強い走りをありがとう。そのドラマチックな競走馬生活で、ぬいぐるみにもなってファンに愛されてきたオグリキャップは、引退から長い歳月を経ても色あせることなく輝きを増している。
オグリキャップ像はきょうも笠松競馬場に来場したファンを歓迎してくれている。
☆ファンの声を募集
競馬コラム「オグリの里」への感想や要望などをお寄せください。 騎手や競走馬への応援の声などもお願いします。コラムで紹介していきます。
(筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
☆最新刊「オグリの里5青春編」も好評発売中

「1聖地編」「2新風編」「3熱狂編」「4挑戦編」に続く第5弾「青春編」では、笠松競馬場などでの「砂上の格闘技」で完全燃焼した人馬たちへの惜別の思いも込めた。巻頭はシンデレラグレイ賞&トークショーでのウマ娘ファンの熱狂ぶり、続いて日本競馬界最大のヒーローであるオグリキャップ、アオラキ&ハルオーブ、ストーミーワンダー、ハマちゃんなどを特集。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、182ページ、1500円(税込み)。岐阜新聞社発行。ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、笠松町歴史未来館、ホース・ファクトリー(ネットショップ)、酒の浪漫亭(同)、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品。









