製造する蛇口やシャワーヘッドを紹介しながら、山県市の水栓バルブの歴史を説明する早川徹社長=同市東深瀬、水生活製作所
約30年前に美山町が設置した「水栓バルブ発祥の地」とPRする看板=山県市佐野

 「水栓バルブ発祥の地」。岐阜県山県市佐野の国道418号沿いに、こんな文言が掲げられた看板がある。市によると、旧山県郡美山町が約30年前に地場産業のPRのために建てた看板。事実、山県市には水栓バルブ製造に関わる約100社が集積。全国の水栓バルブ製品出荷額に占める県のシェアは、全国トップの約40%を誇る。業界以外の県民にはあまり知られていない、同地区で水栓バルブ製造が始まったきっかけや一大集積地に発展した経緯を探った。

 名古屋大学出版会から発行された書籍「水洗トイレの産業史」によると、明治には国産の水栓バルブ、いわゆる蛇口の製造が始まっていた。コレラなどの伝染病が国内に流行し、国が水の衛生改善を推し進め、1887年に横浜市で国内初の近代水道が敷設。水栓工事の増加に伴い水栓金具類の需要も高まり、輸入に頼っていた水栓バルブなどの国産化がこの時代に加速したという。

 山県市で水栓バルブの製造が始まったのは1933年。残念ながら国内初とは言いがたいが、県内の発祥地であることには間違いない。美山町の前身の北武芸村出身者で、当時は名古屋市で鋳造所を経営していた故北村静男さんが、故郷に分工場を開業したのがきっかけだ。北村さんの著書によると、養蚕や紙すきが村の主力産業だったが、村長が村おこしのために北村さんに頼んで工場を誘致した。その後、戦争によって名古屋市などの工場が焼失する憂き目に遭った北村さんが、48年に美山町に拠点を移して再スタートを切った。

 33年に一つの工場から始まった山県の水栓バルブは、どのように広まったのか。山県市商工会の水栓バルブ委員長で、水生活製作所(同市東深瀬)の早川徹社長は「水栓類の製造工程は鋳造、鍛造、切削加工、研磨、メッキなど多岐にわたり、多くの資金や人が必要。1社で全工程を完結するのは難しく、親族や従業員が枝分かれしてそれぞれの工程を分担するようになった」と、関係者から伝え聞いた話を教えてくれた。

 戦後復興や高度経済成長、住宅建設の増加を追い風に水栓バルブ市場は拡大。そうした時代背景も後押しし、関連企業で働く地元住民や移住者も多くいた。

 また、100社もの企業が集まったのは立地的な要因も大きい。早川社長は「商品を扱ってくれる金物問屋の多くが東京と大阪にあり、日本の中心にある山県市から全国に送り届けやすかった」と説明する。市内を流れる武儀川も製造工程の一部で活用。「金型、機械設備、製品の冷却、製品のメッキ処理に川のきれいな水を使える」と清流の恩恵を指摘する。

 最盛期の勢いはなくなったが、各社は切磋琢磨(せっさたくま)しながら機能やデザインに優れる水栓やシャワーヘッドなどを開発し、人々のニーズに応えてきた。近年は、生産性の向上、環境や化学物質の規制への対応、水栓製造技術を活用した新規事業の創出が業界の課題。製造工程の機械化が進んでいるものの、金型の設計・製造や職人技が求められる研磨工程などの人材不足も問題という。

 水栓バルブ委員会は課題の克服に向け、勉強会や工場見学会を開いて方策を探る。早川社長は「情報や成功事例の共有を進めるなどして、企業同士の協力体制をさらに強くしたい」と力を込める。