武田氏に内通していたとされる鍋山氏の居城鍋山城の飛州志記載の絵図(国立公文書館所蔵)

 三木自綱が織田信長につき、郡上攻めを行ったことは、武田氏の怒りを買い、飛騨有力者の不信感を募らせ、三木離れを招いたと岡村守彦さんは「飛騨中世史の研究」で指摘する。

 父良頼が上杉氏に従属したことで、1564(永禄7)年の武田氏の飛騨侵攻を招いたが、「武田氏にとって、本願寺等反信長勢力との唯一の連絡路として、重要な地点であった郡上郡に兵を入れることは、明らかに、武田氏に対する挑戦と考えられてもしかたがない」と岡村さんは同書で述べる。...