「元気担当」。私たち夫婦は、当時2歳の息子をそんなふうに話していました。

 しかし息子は、実際には病弱でした。度々繰り返す発熱、入院、点滴、血液検査。腎臓の検査の後、病院の先生から「子どものうちに人工透析になる可能性が高い」と言われ、絶望的な気持ちになったこと。両耳の手術、腎臓の手術。中津川と大阪に住む私たち夫婦の両親に、何度も助けてもらったこと。

 乳幼児期の日記には、大変な出来事ばかり書かれています。今回、初めて当時の日記を読み返しましたが、ページを繰るのが大変でした。

 息子は、身体的な発育も言葉の発育も通常より遅く、保育園に通い始めたときは、周りの子を見て劣等感を持つことがないか、とても心配でした。病院へ行くのも保育園を休むのも誰より多かったのですが、大好きな先生や仲良しの友達と、楽しく過ごしていました。苦い薬を飲むときは友達が応援してくれ、休む日が続くと、先生や友達が心配してくれました。私は、病弱で大変な状況をみじんも感じさせずに、毎日、明るく笑顔で過ごす息子の姿に感心し、気が付くと、「元気担当」と言うようになっていました。

 乳幼児期のことを考えると、今、息子が毎日元気に過ごしていることは、奇跡のように思います。それと同時に、病弱な息子をそばで支えた妻をはじめ、両祖父母や病院の先生、保育園の先生など、さまざまな方のおかげでここまで来られたことを実感します。

中津川市に住む母方の祖父母、市岡嫩(わかし)さん、淑子さんと笑顔で記念撮影する1歳4カ月の明浩さん=2003年11月

 とはいえ、息子の体調は、完全に良くなったわけではありません。現在も、腎臓や大腸の持病があるため、食生活や生活習慣には、常に気を付けています。そういったこともあり、対局で遠征するたび、私が気になるのは、結果よりも食事や睡眠のことです。

 先月、息子が対局場にタピオカドリンクを持ち込んだことが話題になりましたが、3日連続飲んだと知ったときは、あきれてしまいました。しかし、「お父さんはタピオカドリンク飲んだことないやろ。家で飲めるやつ買ってきたよ」と笑顔で話す姿を見ると、思わず顔がほころびました。好きな物を食べたり飲んだりすることは、息子の何よりの気分転換になっているのだと思います。これからも、家ではしっかり栄養を考えて食事を作ろうと、改めて感じた出来事でした。

 暑いこの時期は、例年、息子のリクエストで毎朝スムージーを作り、梅ジュースも一緒に飲んでいます。成人した今も「元気担当」である息子に、感謝したいと思います。

(「文聞分」主宰・高田浩史)