「自由は土佐の山間より」―。板垣退助の故郷にある高知市立自由民権記念館。正門脇の石碑には、明治期に土佐が自由民権運動の中心地だったことを表す言葉が刻まれている。館内には運動に関係する文献や史料が展示され、自由のために血と汗を流した土佐人たちの生きざまを伝えている。その象徴的存在が板垣だ。

高知城内に立つ板垣退助銅像。バックには現存天守がそびえ、コラボレーションショットを撮ることができる

 展示室の一角、岐阜遭難事件のコーナーで足を止めた。ケースの中には1本の短刀。犯人・相原尚褧(なおぶみ)が板垣に襲いかかった際に使った刀のレプリカだ。実物も同館が所蔵する。140年前、この鋭い刃先が板垣の胸に刺さった場面に思いを巡らせてみる。「板垣死すとも自由は死せず」の名言が生まれた瞬間が立体的に浮かび上がってきた。

「自由は土佐の山間より」と刻まれた碑が来場者を出迎える高知市立自由民権記念館

 まちのシンボル、高知城。追手門をくぐると、すぐに板垣退助銅像が目に入る。右手を掲げ、民衆に何かを訴えかけるような立ち姿は、岐阜公園(岐阜市大宮町)の板垣像とはやや違う雰囲気。背後には天守がそびえ、城と銅像を同時にフレームに収めることができた。高知城は国内に12ある「現存天守」の一つ。江戸期から残る同じこの城を、幕末の板垣も見上げたのだろうか。

龍乗院に移築されている板垣の生家の門

 城から歩いて10分ほどのところに、板垣の生家跡地がある。現在は高野寺となっており、板垣の位牌(いはい)が保管されている。また、生家の門は市内の龍乗院に移築され、今に名残を伝えている。

高野寺に立つ板垣退助生誕地の碑

 土佐と言えば、やはり坂本龍馬。高野寺から徒歩15分ほどが生誕地。「龍馬は幕末、板垣は明治の人」というイメージが強いが、ともに幕末の土佐藩に生まれた同世代の志士。維新を見届けることができなかった龍馬は、板垣らが築いた明治の日本をどう見つめていたのか―。駅前の龍馬像に語りかけつつ、高知を後にした。

その硬さ板垣のごとし 熱い思い詰まった「がんこまんじゅう」

 板垣退助にちなんだお土産を探して生誕地の高野寺に面した天神橋通商店街を散策。菓子店「御菓子司 小笠原」の店頭に、板垣の似顔絵がプリントされた商品を発見した。

「御菓子司 小笠原」の店頭に並ぶ「板垣がんこまんじゅう」

 その名も「板垣がんこまんじゅう」。店主の小笠原健一さん(76)に話を聞くと「自由民権運動を主導した板垣の頑固な意志と心意気をまんじゅうに込めた。商店街の活性化を願って考案した」という。

「板垣退助の名は広く知られているが、何をしたか知らない人も多い。その功績をもっと多くの人に知ってもらえらたら」と語る店主の小笠原健一さん

 似顔絵入りの包み紙を開けると、香ばしい匂いが漂ってきた。かりんとうまんじゅうだ。商品名の響きから相当硬いのではないかと想像したが、外はカリっと、中には柔らかいあんこがたっぷり。小笠原さんは「高齢者にも優しい硬さになっています」とほほ笑んだ。

=「自由と刃」は今回で終了します=