筌と呼ばれる漁具で捕らえられたアジメドジョウ=7日、下呂市内
アジメドジョウがのった「アジメめし」=下呂市萩原町、飛騨萩原農産加工センター
昭和天皇ご賞味の料理を再現した「アジメの山椒煮」(湯之島館提供)
下呂に宿泊された昭和天皇(手前左から2人目)=1958年(湯之島館提供)

 ロープを伝って急斜面を下りると、澄み切った流れが目の前に広がる。下呂市内の益田川(飛騨川)支流。こけむした石を踏んでたどり着いた川べりで石積みをどけると、アジメドジョウを捕らえる釣り鐘形の漁具「筌(うえ)」が姿を現した。

 流域にすむアジメは、初秋になると越冬と産卵のため、伏流水の湧出口「アジメ穴」に潜る。「川の水より1~2度温かな湧水がいいようだ。潜れば外敵に遭いにくいしね」と前益田川漁協組合長の田口錠次さん(82)=下呂市萩原町=。

 

 その手前に長さ1メートル、直径40センチほどの「筌」を仕掛ける伝統漁法が「アジメ筌(せん)」で、後部のろうと状の網から入ったアジメを2~3日置きに回収する。ざるにあけると、約100匹が躍り出た。

 「味女」と書くだけに美味で知られ、下呂地域では昔からつくだ煮や朴葉(ほおば)ずしの具材にして食べられてきた。1958年に下呂温泉に宿泊した昭和天皇の夕食には、「味女-針生姜(しょうが)入飛騨煮」が出されている。

 アジメを新種として分類した研究者で、説明役を務めた丹羽弥(ひさし)氏=中津川市出身=の著書「あじめ-アジメドジョウの総合的研究」によると、益田川、庄川、宮川の各漁協が提供したアジメが京料理に通じた湯之島館料理主任の佐野友一氏に託され、飴(あめ)だきに。香淳皇后と共に各7匹全てを食べられたと記されている。田口さんが関係者から伝え聞いた「気に入られて、お代わりを求められた」という話も語り草になっている。

 おいしいが故に、昭和天皇は前年のご進講で乱獲や絶滅を心配されていた。昭和40年代、田口さんは増殖に向けて勤め先の県水産試験場(当時)で種苗生産を研究している。仔(し)魚を傷つけない発泡スチロール材の産卵床を使った繁殖に成功したが、卵を持つ数が1匹当たり100個前後と少ないことから効率が悪く、普及につながらなかった。

 かつては橋の上から眺めると、逆立ちしてコケを食べる群れが見えるほど豊富にいたアジメ。保護のためアジメ筌は県知事の許可制で、筌の数や漁期は制限されてきたが、2018年の豪雨災害以降、流路が変わり、多くのアジメ穴も埋まってしまった。長く50の枠を抽選で決めてきた益田川漁協管内での申請は、今季は6人にとどまる。

 「捕る人も食べる人も少なくなった。でも僕らは小さい頃から食べとったからね」。古里の恵みを求め、田口さんはまた川に向かう。

【いただきます】

◆下呂の素朴な古里の味

 中部・関西地方の上中流域に分布するアジメドジョウ。下呂市では、朴葉ずしにのせる地区もあるなど素朴な味が親しまれている。

 老舗旅館湯之島館(湯之島)は、昨年の創業90年を記念し、今夏まで昭和天皇ご賞味の再現メニューを提供した。アジメの山椒(さんしょう)煮は「ほろほろと身は柔らかで、臭みもない。珍しさもあり好評だった」と同館の岩鼻将充さん(35)。

 飛騨萩原農産加工センター(萩原町羽根)は旬の10~11月に炊き込みご飯「アジメめし」を作る。しょうゆ、酒、みりんにしょうがを加えた汁でアジメを煮て、煮汁を加えた別炊きの味ご飯にのせる。「古里の味を伝えたい」と都竹玲子専務。土曜日に予約販売する。600円。注文は電話0576(52)3848。