精神的に不安定になった女性の様子を捉えていた防犯カメラ=県内

 岐阜県内の住宅地の一角にある防犯カメラが、一部始終を捉えていた。昨年11月の日中。30代ぐらいの女性が包丁を手に、路上を進んでいた。「殺される!」「警察を呼んで!」。大声を上げ、包丁を投げた。

 警察署には近隣住民からの通報が相次ぎ、駆け付けた警察官に取り押さえられてもなお、「警察官を呼んで」と叫び続けた。幸い、住民や警察官、そして女性にもけがはなかった。女性は警察署に向かい、その後、措置入院となった。

 この「事件」になる前にも2度ほど警察官通報の対象になったが、措置入院にはならず、1人で暮らしていたアパートに帰されてきたという。居室前の廊下に響く女性の大声を聞いて不安になった住民が、大家や管理会社などにたびたび相談を寄せていた。

 女性は精神障害者手帳の取得など、公的に疾患を証明する手続きは取っていない“グレーゾーン”の当事者だった。「事件」になったことが医療とつながるきっかけとなり、精神科病院への入院を経て、現在は福祉施設に入所している。

◆孤立させない

 「措置入院は、地域で孤立している精神障害者が医療とつながることができる数少ない機会です」。女性の生活を支援した男性が話す。自傷の恐れもあったため定期的に居宅を訪問していたが、そのたびに「来たら殺す」などと言われて追い返されてきたという。

 「1人で暮らしていくのは難しいのではと感じていた。ただ、保健所は手帳を持たない当事者には冷たいし、警察も事件にならないと動けないようだし」。孤独にしてはいけない-そう感じた男性は他の支援者と共に女性と向き合ったが、あの日、不安は的中した。「包丁の件で被害者が出なかったから良かったが…。もっと早く医療とつながっていても良かったはず」。3度目の警察官通報で措置入院に至った女性の件を振り返ると、精神保健福祉法が定める仕組みが県内で機能しているのか、疑念を抱いている。

◆全国平均と差

 一方、措置入院などの強制入院制度は、人権侵害になりかねないとの批判が根強い。日本弁護士連合会は昨年10月、「精神障害のある人の尊厳の確立を求める決議」として制度の廃止を訴えている。また、今年9月には、国連の障害者権利委員会が障害者権利条約に基づき、日本政府に対して精神科への強制入院を可能にしている法令の廃止を勧告した。

 措置入院の決定に県が慎重な姿勢を取っていることが、統計からうかがえる。厚生労働省によると、警察官通報のほか、検察官や保護観察所長の通報も含めて措置入院となったのは20年度、県内で30人。岐阜県と人口規模が近い他県と比較しても、措置入院になった人は20年度、長野で177人、群馬で148人と大差がある。警察官通報に限ると、岐阜は人口10万人当たりで0・96人で、岩手、兵庫に次ぎ全国で3番目に低く、全国平均の4・36人とは開きがあった。

 「行政は人権侵害だと言われるのを過度に恐れているのでは」。岐阜病院(岐阜市)の理事長で精神保健指定医の鈴木祐一郎氏は、県の措置入院の少なさの要因を推察する。長年、措置診察に至らなかった当事者を、困り果てた警察官が病院まで連れてくる事態に対処してきた。「自発的な入院で治療が始まるなら本当はいいが、現実にはそうはいかない場合が多々ある。法律にのっとって人の権利を制限しつつ、治療に乗せるということ。岐阜県にはその権限とともに、責任がある」と指摘する。

 【障害者権利条約】 健常者と同様の権利を保障し、差別を禁止するために政府が取り組むべきことを定めた条約。2006年に国連総会で採択され、08年に発効した。今年4月現在、185の国と地域が締結しており、日本は14年に批准した。障害者権利委員会が締結国から国内の政策について政府報告を受け、定期的に審査、勧告する。

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 精神疾患の当事者を支える仕組みは適正か。複数の警察官らが明かした現場の実情、精神医療や自立支援に携わる関係者への取材を基に、実態を追った。


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