メタセコイアといえば、岐阜県内各地にも植えられているなじみ深い木。整列した細長い葉や茶色の球果が特徴だ。このメタセコイア、実は80年前まで未知の存在だった。先に化石が発見され、後に生きている木が発見された。つまり太古の昔と変わらない姿を保つ「生きている化石」と判明した。その根拠となったのが、土岐市内で採取された化石だった。
かんたん検索! 岐阜県・東海のイベント お出かけ情報総合サイト「ぎふっと!」化石を発見したのは元大阪市立大教授の三木茂博士(1901~74年)。三木博士は京都大で植物の化石の研究にいそしんでいた30年代後半、見慣れない小枝の化石に目を奪われた。それは、土岐市内の地層から採集された、約1千万年前の化石だった。見た目が近い常緑樹のセコイアや落葉樹のヌマスギは、ともに一つの節に葉が1枚ずつある互生だが、その化石は葉が2枚ずつある対生で、落葉樹だった。41年、三木博士は「後の」の意味を持つ接頭詞を付け「メタセコイア」と命名、新発見の種類だとする説を唱えた。ただそうならば、どこでも見つかっていないメタセコイアはすでに絶滅した種のはずだった。ところが―。
45年、中国湖北省の奥地で発見された木を調べた結果、化石と同じメタセコイアと判明した。三木博士の説通り新発見の植物と証明されるとともに、1千万年前から変わらない「生きている化石」として世界的に話題となった。後の研究で、メタセコイアは恐竜時代の白亜紀後期から生きていることも分かった。
48年に米国の古植物学者チェイニー博士が湖北省のメタセコイアの種子を持ち帰り、苗を育成した。日本では約100万年前に絶滅していたメタセコイアをよみがえらせようというチェイニー博士の呼び掛けに応じ、三木博士は保存会を結成。50年、米国から100本の苗木が届き、国立大学を中心に国内各地に植樹された。戦後間もない頃だ。
県内にあるメタセコイアの木々も、多くはこの直後に植えられた。岐阜大農学部跡地の各務原市那加雲雀町、学びの森プロムナードには並木があるほか、同教育学部の跡地である岐阜市長良の長良公園には今では約50本のメタセコイアがそびえ立ち、高さ35~40メートル、直径1メートルにまで成長している。同公園を管理する長良公園ホールディングスの担当者は「これほど大きなものは全国的にもあまりなく、県外からも研究者や愛好家が訪れる」と話す。
2010年、大阪で国際メタセコイアシンポジウムが開かれた。世界中から多くの研究者が集まり、土岐、多治見市境の粘土層を訪れた。副実行委員長を務めた、大阪市立自然史博物館外来研究員の塚腰実さん(62)=高山市出身=は「研究者たちはメタセコイアの化石を産出した"聖地"として関心を持ち、熱心に化石を採集していた」と振り返る。
ちなみに、お菓子の「セコイヤチョコレート」の「セコイヤ」もメタセコイアに由来するのか。製造元のフルタ製菓(大阪市)によると、世界一大きくなるという針葉樹のジャイアントセコイアのようにチョコを食べてすくすく育ってほしい、との願いを込めて命名されたもので、メタセコイアとは関係ないという。しかし、売り上げの一部でメタセコイア並木を守る活動をしており、土岐市産の化石がメタセコイアの研究に一役買ったことに「遠く離れた土地同士がメタセコイアを通してつながっていると、ご縁を感じる」と同社担当者は話す。
三木博士が土岐市産の化石を丁寧に観察、考察したことで、世界的大発見が生まれた。今の季節は鮮やかな緑、秋には赤みがかった黄葉をつけるメタセコイア。時を経て今なお、変わらぬ姿で私たちを和ませる。















