彼のことをずっと考えながら、東京の清澄白河を歩いていた。どれだけ思っても、一緒に来ることはない場所だから、心のポケットに彼をたずさえてあちこち散歩した。

 清澄白河は、いわゆる江戸の下町だ。年季の入った歴史博物館や名物の深川飯のお店の合間に、リノベーションした洒落(しゃれ)た雑貨屋やベーカリーショップが入っていて、江戸の歴史と共にどこかまっさらで澄んだ匂いを感じさせる。木目と白い壁が印象的な、アンティーク調の器のお店に入って、私は九谷の骨董(こっとう)皿を、彼は現代作家のガラスの器をそれぞれ見ている。彼が、好きだけどやっぱり高いから買えないな、と言ってガラスの器を棚に、割れないように慎重に指を延ばして戻す。その指に触りたいけれど、これは私が生み出した心の中の彼だから、心の中で手に触る。

(撮影・三品鐘)

 そこから歩いて東京都立現代美術館まで歩く。ホットコーヒーをテークアウトして、美術館の野外庭園をあちこち見た。今は11月の終わり、まだ紅葉の季節だ。この落ち葉の感じ、好きだと彼は言う。この壁面の感じも。わかってる、もうちょっといたら? と思う。彼は硬質なものが好きだ。変わらずただそこにあるもの。私は庭園の水の流れを見ている。硬質さとは逆で、落ち葉を散らさせてゆらゆらと動く、とめどない水面が好きだ。水の、落ち着かないけれど、あるべき場所にいずれたどり着けるところが。そういう好みを、私たちはきっとお互い知っている。

 ビデオアートの特別展は私には難しすぎた。彼はきっと長居をしたがる。だから私は心の中で展示を見ている彼を見ている。感想はおそらく言わないだろう。きれいなものは心の中に仕舞(しま)うのが好きな人だから。

 そうして、ようやく公園のベンチに一人座る。この木の感じもいいなと心の中の彼が言う。そうに違いないと思った。わかっている。わかっているから、今は心の中の彼の目で、その木をずっと見ている。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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