小学生倉敷王将戦県大会に初めて出場した数日後の2011年5月25日、息子は、新聞の将棋欄のスクラップを始めました。

 当時3年生だった息子は、スポーツ記事などを中心に新聞を読んでいたのですが、紙面に将棋欄があることに気付き、切り抜いてみようと思ったようです。大会で悔しい経験をして、「もっと強くなりたい」と思ったのかもしれません。

 スクラップした後は、指し手の符号を見ながら、将棋盤の駒を動かす、「棋譜並べ」という勉強をしました。棋譜並べは、柴山芳之先生に勧められた勉強法です。

 息子は、棋譜並べをしながら「どうしてこう指すのか」「ここをこう指したらどうなるのか」など、いろいろと分からないことを私に聞いてきました。将棋欄は、ある程度将棋が分かっている人向けに書かれたものです。初心者向けに指し手の全てが解説されているものではありません。

柴山芳之さんの将棋講座で、同級生の磯谷祐維さん(左)と対局する高田明浩さん=2011年7月、各務原市鵜沼西町の中山道鵜沼宿脇本陣

 私は当時、遊びの一つとして、ルールを生徒に教えていた程度のレベルです。そんな私が、すぐに答えられるわけもありません。私は、本を読んだり、ネットで調べたりして、なんとか息子の質問に答えようとしました。当時は将棋ソフトの存在も知らなかったので、答えられないことが多く、悪戦苦闘しました。

 また、毎日、新聞の将棋欄の切り抜きをするのは面倒なことです。最初は息子がしていましたが、しばらくすると、息子に頼まれて、私がするようになりました。

 その後、プロ入りしてしばらくたつまでの10年間、私が1紙、私の母が2紙の切り抜きをしました。それを息子がノートにスクラップしたのですが、最終的に、スクラップした大きなノートは、100冊ほどになりました。

 私自身は、もともと授業のために新聞スクラップをしていましたが、それでも毎日、将棋欄や将棋関係の記事を切り抜くことは、負担感がありました。それを思うと、将棋を指すこともできない母が、2紙のスクラップを10年もしてくれたことは、本当にありがたいことだったと思います。

 スクラップの大半は、息子が将棋を教えていた私の生徒たちに譲りましたが、今も少し、手元に残っています。それを見ると、こういった地道な努力の積み重ねが、息子の今につながっているのかなと感じます。

(「文聞分」主宰・高田浩史)