脳神経外科医 奥村歩氏

 「春眠暁を覚えず」の季節ですね。その睡眠が認知症の予防にとても重要であることが、最近分かってきました。アルツハイマー型認知症の原因である脳のごみ(アミロイドβ)が、熟睡中に「水洗い」されていることが発見されたのです。水掃除をしている「水」とは? それは脳脊髄液のことです。

 脳は、脳脊髄液と呼ばれる無色透明な液体に満たされています。

 脳神経外科手術の現場。硬い頭蓋骨を、ドリルで開けます。次に頭蓋骨と脳の間に存在する硬膜を、メスで切開します。その直下には、くも膜と呼ばれるサランラップのような薄い膜に覆われて、美しく揺らぐ脳が鎮座しています。そして、くも膜を慎重に切開すると、こんこんと清らかな水があふれ出してきます。この水が脳脊髄液です。脳神経外科医は、患者さんやご家族に脳脊髄液への理解が必要となる治療・手術の説明の際、ある例え話をよくします。それは「脳は、脳脊髄液と呼ばれる水道水のような液体に包み込まれています。スーパーで売られているパックの豆腐のようなものです。パックが頭蓋骨で、豆腐が脳みそです。脳はパックの豆腐と同じように、水に守られているのです」というものです。

 豆腐の水にも豆腐を傷めない働きがあるように、脳脊髄液には大切な脳を保護する役割があります。そして、この脳脊髄液は停滞している豆腐の水とは異なり、絶えず入れ替わっています。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。これは鴨長明「方丈記」の冒頭文ですが、脳脊髄液は川の水のように、絶えず流れて入れ替わっているのです。

 このようにダイナミックな脳脊髄液は、栄養物質の輸送や老廃物の排せつなど、脳の新陳代謝に重要な役割を果たしていると考えられてきました。そして近年、アミロイドβの排せつにも、この脳脊髄液が大きな働きをしていることが発見されたのです。脳のごみは脳脊髄液によって「水掃除」されているのです。この「水洗い」の仕組みは、グリンパテックシステムと称されています。

 脳脊髄液は図のように、脳動脈の血管周囲腔(くう)に沿って脳深部に流入します(①)。そして、血管周囲に密着しているグリア細胞の水門から脳内に流入します(②)。その後、脳脊髄液の主流は、静脈側の血管周囲腔の方に向かいます(③)。グリア細胞とは脳内で、神経細胞や血管を支持固定している接着剤のような細胞です。この脳脊髄液の流れの過程で、アミロイドβは運搬され、排せつされる「水掃除」が行われるわけです。

 グリンパテックとは、脳脊髄液がグリア細胞と協力して、毒物を排せつするリンパ系のような働きをしていることから名付けられました。そして、このシステムが最も働くのが、熟睡しているノンレム睡眠中であると考えられているのです。昼は適度に運動して、夜は熟睡することが、認知症予防の要といえるでしょう。

(羽島郡岐南町下印食、おくむらメモリークリニック理事長)