ぎゃあ、と大声をあげて目を醒(さ)まし、枕の上で目だけを動かした。取っ手の部分が少し汚れた襖(ふすま)。背の低い二列式の本棚が二つ。部屋の中央に置かれたこたつ兼作業テーブル。赤い座椅子が二つ。隣の部屋には…。

 隣の部屋には誰も何もいない。わたしを脅かす者は誰も。そろそろと掛け布団をめくり、上半身を起こすと、もう一度自分が寝ていたところを見つめた。

(撮影・三品鐘)

 そうだ、ここはわたしの部屋で、もう4年以上、わたしはこの部屋に住んでいて、家族はいない。正真正銘の一人暮らしだ。けれどさっきまで夢の中でわたしの背中を崖から突き落とそうとしたのは誰だったのか、何度も何度もわたしを裏切ったのは誰だったのか。もう何年も会っていないのに、わたしが生死をかけて守ろうとしていたのは誰だったのか。もちろんはっきりしている。でも言葉に出せばまだそれに囚(とら)われていることが恥ずかしくて、大声をあげた唇を指でなぞった。

 まだ囚われている。それは過去のことなのに、どうしようもなく変えられない時間のことなのに、こうしてまた夢に侵食してきて、それはまだ終わってないよ、あなたの中では終わってないよ、とわたしに繰り返す。もちろん、夢に現れるからにはわたしの中では終わっていないのだろう。でも… ようやく立ち上がり、こたつの上の山積みのゲラを見つめた。未来は容赦なくやってくるのだ。思い出そうと忘れ去ろうと元には戻らない。それに執着している時間は微塵(みじん)もない。変えようがないものに囚われる前に、足を前に前に進めなくては。カーテンを引いて窓を開けると、憂鬱(ゆううつ)でくすぐったい春の風が吹く。春の風にゲラがはためき、慌てて窓をしめた。何があっても進むこと。そう決めたのだから。それしかないのだから。進むしかないだろう。そう、進むしかないのだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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