河川敷に緑が生い茂る木曽川の堤のほど近くに、ウナギを焼く香ばしい匂いを漂わせる老舗川魚料理店「魚勝(うおかつ)」(岐阜県羽島市桑原町)がある。対岸は愛知県の祖父江(現稲沢市)。堤防下の八神渡し跡の石碑が、渡船場の歴史を伝える。
かつては堤内に店を構えていた。「水が出るたび、2階に避難してね。『ザーザー』と板間を流れる音がした」と先代の故佐藤勝敏さんの弟稔さん(79)。もとは渡船客や川荷を運ぶ船頭らを相手にした商店だった。
料理中心の店に切り替えたのは、父親の故克己さんだった。「うまいやつを作らなあかん」。ウナギのタレを研究するため岐阜市の醸造元から人を招き、川魚に合うたまりを一緒に造り上げた。「甘い、辛いもあるし、風味、色を決めるまでに時間をかけた」
川風が渡る風情と合わせ評判を呼んだ堤内の店は、度重なる浸水を受けて1964年に現在の地へ。100畳の大広間もあるコンクリート造りの本館に木造の離れも増築。好況の繊維関連の業者や千代保稲荷の参拝客がバスでどっと訪れた。2歳年上の勝敏さんと休みなく下処理や焼きを担い、5年ほど前に引退。「やっとこさ、手のたこがなくなった」と笑う。
忙しさのピークは、やはり土用の丑(うし)の日で、1日で500キロ、前後の4~5日で1㌧ものウナギを使う。「お客さんが多い日は、ご飯や茶わん蒸しの準備も大騒動」と勝敏さんの妻良子さん(77)。11月に暦が届くと、繁閑を知るため、まず丑の日の曜日を確認する癖がついた。
昭和40年代まで木曽三川は天然ウナギが豊富にいた。川ごとに体の色が違い、「青口」と呼ばれる青みがかったものが良質とされた。名物のナマズやコイ、フナ、鮎、サツキマス、スズキ、ボラ……。あらゆる川魚を使った。
時代とともに食材は養殖物に変わり、バブル期の団体客は収束したが、評判を聞いて愛知県や関西からも客が訪れる。経営を受け継いだ3代目の長男彰洋(あきひろ)さん(53)が「値打ちで喜んでもらわなあかん」という代々の教えと味を守る。移転60年を機に昭和レトロの店を改修するが、宴会で夜更けまで騒ぎ、畳でゴロンとくつろぐ人もいた昔の雰囲気はなるべく残したいという。「それも含めて、川魚文化なのかな」
今年の土用の丑は今月30日の日曜日。川魚料理店の一番熱い日が巡ってくる。