揖斐川上流の左岸側にあり、徳山ダム建設により全住民が転出しました。現在は、水没を免れた場所に展望台が整備されています。

 以前このコーナーで紹介した同じ揖斐川町にある樒平は、「シキビの木が多かった」との由来が伝えられていました。転じて櫨原は、果実から蝋(ろう)を取ることができたハゼの木があったのかもしれません。

 櫨原には、南北朝時代の武将・新田義貞が落ち延びてきたという伝説があり、現に「由定(よしさだ)」という字(あざ)もありました。義貞は藤島の戦い(福井市)で戦死したとされ、藤島神社(同)の主祭神としてまつられていますが、櫨原にも墓碑があったのです。地元の人たちは、国の目を恐れて「新田義貞」の名をあえて使わずに「仁田四郎由定」として墓碑に刻み、伝えてきたというのです。興味深いですが、この伝説は今、村とともにダム湖に沈んでいます。

【答え】はぜはら