史料によっては「鷹撃谷築(たかちやのこや)」などと書かれている恵那市の城跡です。遺構はほとんど残っておらず、現在はほとんどが草むら。市教育委員会による「大井城跡」の標識が立っています。

 恵那市史の通史編(1983年発行)には、由緒が詳しく紹介されています。まず近くの大井城について紹介し、「大井城の存在は、多くの記録にみられほとんど疑いの余地をはさまない」と言及しています。一方、鷹撃谷城については歴史など諸説を紹介していますが、「この城の築構のねらい、大井城とのかかわりなど疑問は多くある」と結論づけています。

 当地の字(あざ)は「城(しろ)の欠(かけ)」。「城の崖」が転じたとの説もあり、砦(とりで)だったとも考えられるそうです。「出塀(でへい)」という字も隣接しています。城跡の風情はみられない地ですが、城の歴史が息づく地であることは地名が雄弁に語っています。

【答え】たかちがやじょう