2012年8月20日、大阪市にある関西将棋会館内の道場の受付でアルバイトをしていた中野勉さんが、各務原市のわが家に遊びに来てくれました。息子の将棋人生は、この日から、新たな歩みを始めることになります。

 中野さんは当時大学生で、道場で手合いを付けたり、子どもたちを指導したりしていました。感じの良いお兄さんで、息子は、中野さんの指導を受けた後、すぐに彼が好きになりました。そして、大学の夏休みに岐阜に来て、私の教室の生徒にも、優しく将棋を教えてくれました。

 中野さんは、右玉という、珍しい戦法を得意にしていました。息子は、右玉を指す人と出会ったのは初めてで、指し方を教えてもらい、うれしそうにしていた姿を、今もよく覚えています。

 その時期は、私が教えた棒銀戦法で停滞していたこともあり、それ以降、息子は右玉ばかり指すようになります。戦法の魅力もありますが、中野さんが好きだったことも大きかったと思います。

大阪から遊びに訪れた中野勉さん(右)と記念撮影する(左から)高田浩史さん、明浩さん=2012年8月20日、各務原市の高田さん宅

 しかし、右玉戦法は戦術書も少なく、勉強するのが難しくて苦労しました。実際に指しながら、あれこれと工夫していく感じでした。それでも、右玉を始めて4カ月ほどたった冬休みにアマ二段に昇段できたので、息子には合っていたのかなと思います。

 その後は、5年生の春休み、夏休み、冬休みと、関西将棋会館の道場へ行くたびに連勝して昇段し、アマ五段になりました。

 中野さんは、アルバイトがない日も、息子が行く時は、よく道場に来てくれました。そして、お薦めのお店でお昼を一緒に食べたり、話したり、将棋をしたりしました。

 将棋会館職員の丸野祥恵さんが、中野さんに「今日はバイトじゃないのに、どうして来てるの?」と聞き、「優しいね」とほほ笑まれていたことも、懐かしい思い出です。

 奨励会に入ると、周りの方から「右玉ばかりではだめだ」と言われるようになりますが、それでも、息子は右玉一本で通しました。

 奨励会初段になると、ついに右玉だけでは勝てなくなり、他の戦法も習得することになるのですが、そこまで自分の信念を貫いたのは、本当にすごいことだったと思います。

 「一念、岩をも通す」と言われます。強い信念で物事に当たれば、どんなことでも成し遂げられる。そのことを、私は、息子の姿から学んだ気がします。

(「文聞分」主宰・高田浩史)