野島崇宏さん(右)とクリスマスを楽しむ高田明浩さん=2014年11月、各務原市鵜沼朝日町の高田さん宅

 2013年10月13日、息子の明浩は名古屋での大会で、元奨励会三段の野島崇宏さんと初めて対局しました。野島さんは、息子の対局姿を見て、「この子は強くなる」と感じ、その後、愛岐会などで会うたびに声をかけてくれたそうです。

 翌年の10月16日、野島さんがわが家に来られました。野島さんは私に、「明浩君は、必ずプロになれます。私が奨励会にいたとき、プロになった方に感じた才能と同じものを明浩くんにも感じるからです。お父さんは何も心配する必要はありません。ご飯をしっかり食べさせてあげれば大丈夫です」と話されました。その後、野島さんは、小学校から帰ってきた息子と2局指した後、おでんを一緒に食べ、卓球をして帰りました。

 息子が奨励会5級に昇級した時は、お祝いのケーキを持って来てくれました。その日の感激は、今もよく覚えています。

 野島さんは、それから地元の埼玉に帰るまでの数年間、ときどきわが家に来て、息子を指導してくれました。花火や紅葉を見に行ったり、クリスマス会をしたり、エアーホッケーをしたり、楽しい思い出もたくさんあります。

 奨励会に合格する子は、岐阜県では数年に一人です。さまざまな方から、岐阜県から奨励会に入会した子たちは、棋士はおろか、奨励会有段者になった子さえいないという厳しい現実を聞き、親としては不安が募るばかりでした。

 息子が奨励会4級で1年近く停滞した時は、多くの方から、「奨励会は辞めて、学校の勉強をきちんとした方がいいんじゃないか」と言われました。私自身も、その方が良いのではと感じていました。

 そんな時も、野島さんは「明浩君ならプロになれます」と力強く話されました。将棋の世界のことがよく分からない私たち夫婦にとって、奨励会の厳しさを知っている野島さんの確信に満ちた言葉は、何よりも心の支えになりました。

 親として、息子の将来を最も不安に感じていた中学時代、常に温かく、力強い言葉で勇気を与えてくれた野島さんの存在は、本当にかけがえのないものでした。私が息子を応援し続けることができたのは、ひとえに野島さんのおかげです。

 私は、言葉の力について生徒に常々話していますが、私自身、これほど勇気づけられた言葉はありません。息子のプロ入りを小学生の時点で確信し、プロ入りまで精神的に支えてくれた野島さんに、この場を借りて、感謝の気持ちをお伝えできたらと思います。