四段昇段を決めた高田明浩さん(中央左)と浩史さん(左端)を祝う森信雄さん夫妻=2021年3月、兵庫県宝塚市内

 「いいお話ですね」。この連載の掲載日には、師匠の森信雄先生に、岐阜新聞Webのリンクを送っています。先生からのメッセージは、執筆の大きな励みになっています。

 2014年10月4日、兵庫県の先生宅へ家族3人で伺いました。お話はわずか15分ほどで終わり、息子の弟子入りが決まりました。師匠になってもらえるか、不安な思いで出かけた私たち夫婦は、あまりのあっけなさに腰が抜けました。その後、息子は、先生の教室の生徒を指導しました。

 先生は、「中野さんの紹介なら間違いない」と、息子と会う前から弟子にすることを決めていたそうです。岐阜には棋士がいなかったため、師匠探しで途方に暮れていた私たちを救ってくれたのは、連載第21回に登場した、当時大学生の中野勉さんです。中野さんが、森先生を紹介してくれました。

 全国大会の際、さまざまな方から、プロ棋士への弟子入りについては、「強くて礼儀もしっかりしていないと断られる」「かなりお金がかかる」などと聞いていました。そのため、先生が、何の条件も付けず、「お金も一銭も要りません」と言われたときは、非常に驚きました。

 先生は、弟子を手取り足取り指導することはありません。しかし、こちらからアドバイスを求めると、真摯(しんし)に応えてくれます。息子は、「努力が全然足りない」と、何度も厳しい言葉を言われました。先生は、結果よりも、毎日一生懸命努力することが何より大切だと、毎回、話されました。

 先生は、大変な努力をして棋士となり、若いときから、故村山聖先生をはじめとする立派な弟子を育ててきた方です。そんな先生だからこそ、弟子にも努力ができる人間になってほしいと願い、努力の大切さを伝え続けてきたのだと感じます。

 そのような先生の姿勢が、努力できる人間を育て、結果的に、数多くの棋士を生み出す大きな一門となり、現在もそれが続いているのだと思います。

 息子から、奨励会退会後、介護士として働きながら、将棋を楽しんでいる先輩の話なども聞き、棋士になれなかった方も、それぞれの分野で立派な社会人になっていることを知りました。

 岐阜から兵庫までは遠いので、先生と会える機会はなかなかないのですが、プロ入りしたときの先生ご夫妻の大変な喜びようは、今も鮮明に覚えています。

 祝賀会のときも、先生と奥さまは、満面の笑みで迎えてくれました。そんな先生ご夫妻の温かさが、棋界一の大所帯である森一門を築いた原動力ではないかと、私は感じています。

(「文聞分」主宰・高田浩史)