高田明浩さんが小学6年生の頃に自室壁に書いた言葉=各務原市鵜沼朝日町の高田浩史さん宅

 「勝つしか夢なし がんばるしか道はない 人生やり直し 2014年7月24日」

 小学6年生だった息子の明浩が、自分の部屋の壁にこう書いたのは、奨励会試験までひと月を切った時期でした。

 私がその記述を見つけたのは、かなり後のことです。息子は、そう書くことで自分を奮い立たせ、自らスランプを乗り越えたのだと思います。今回は、そのときのことをお話しします。

 息子は小学5年生のとき、担任の先生が大好きでした。学校へ楽しく通い、詰め将棋にも熱心に取り組んでいました。先生は、息子の将棋の話に耳を傾け、大会で入賞するたび、大変喜ばれました。

 息子はその年、急激に腕を上げ、全国倉敷王将戦ベスト8、JT杯東海大会優勝など、目覚ましい活躍を見せました。先生の声援や励ましが、息子の力になったのだと思います。

 しかし、6年生になると、担任の先生が代わり、状況が一変します。4月の全国小学生名人戦決勝大会では準優勝したものの、その後は成績が振るわず、アマチュア将棋連盟のレーティング(強さを示す指標)も、急速に低下しました。

 そのときの私の日記には、「学校から帰宅すると、疲れた様子で、ゲームばかりしている」との記述が多いです。先生から、「将棋のことは、学校とは関係ない」と言われ、全く応援してもらえなかったことが、息子にはこたえたようでした。

 そして、ゲームやマンガに没頭し、将棋の勉強を全くしない状態が、数カ月続きました。大会でも負けることが多くなり、「奨励会試験の合格は無理だろう」と私は感じていました。

 試験までひと月を切った7月下旬。息子は再び、詰め将棋を解いたり、次の一手の問題を解いたりするようになりました。壁に言葉を書いた時期です。

 しかし、すぐには、成果は表れませんでした。岐阜県代表として出場した8月2日の全国倉敷王将戦は、まさかの予選敗退でした。心配した繁田浩一さん(連載第17回で紹介)がその場に駆け付け、息子を励ましてくれたこと、弟夫婦が、大阪から岡山・倉敷まで応援に来てくれたことが、今も心に残っています。

 その後、息子は、熱心に将棋に取り組み、8月9~15日は、第33回で紹介した北村啓太郎君の家で、将棋の勉強に励みました。そのおかげで、なんとか奨励会試験に合格できました。

 こうして振り返ってみると、周りの人の応援や励ましの影響力の大きさに驚きます。また、息子が今、多くの方から応援されていることは、とてもありがたく感じます。これからも、皆さんの応援を励みにして、努力を続けてほしいと思います。

(「文聞分」主宰・高田浩史)