2011年岐阜大会で、2年連続選抜出場のV候補大垣日大を準々決勝で下して選手権に初出場した関商工。北川英治監督が率い、初戦の1回戦で如水館(広島)に敗れたが、延長十三回の激闘で県民を沸かせた。主将佐藤辰海さんに秘話を聞いた。
2024年は、高校野球の聖地・甲子園球場が開場して100周年を迎えます。岐阜新聞電子版で毎週木曜日に各年の感動を当時の紙面と主力選手インタビューで振り返る「甲子園100年ぎふ」を連載中。そのインタビュー記事をWebで紹介します。電子版はこちらから。「媒体」で「ぎふ高校野球」を選択してください。
佐藤辰海(さとう・たつみ) 1993年、美濃市生まれ。外野手。川崎重工に勤務。1年間、軟式野球部に在籍したが、肩の故障などで退部。小中学生の野球チームの監督が目標。
―どんなチームだった。
佐藤 北川先生に歴代最弱と言われ、佐藤のチームだと言われていたが、3年になり、周囲が伸び、飛躍的にチーム力が高まった。中でも自分と一緒に1年生からレギュラーだった内城寛貴が、エースとして大きく成長した。秋までは最速130キロほどだったが、一冬を越え、体も大きくなって最速145キロまで伸びた。140キロ台のまっすぐとスライダーで勝負できる投手になった。肩も強い捕手の前沢陽一も成長、3年春から正捕手になったのも大きい。守備はそれほどでもなかったが、冬場、特に内野陣が北川先生の個人ノックで鍛え上げられ、守備のチームになった。
―岐阜大会準々決勝でエースの葛西侑也擁して2年連続選抜出場の大垣日大を下し、初出場した。
佐藤 大垣日大の前の4回戦の多治見の逆転勝ちが大きかった。1―1の九回表にセンターの僕が飛びついて取れなくて4―1になった。でも、ベンチで円陣組んだ時にみんながまだ負けていないという顔をしていたのが印象的。その裏、つないでつないで最後に僕がライトオーバーを打ってサヨナラ勝ちした。大垣日大は倒さなければ甲子園に行けない相手で、そこしか見ていなかったし、対策をずっとやってきた。葛西攻略は普通の試合でこんなことするの、ということまで北川先生がやった。例えば、...